http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20061025#p3
俺は、音楽音癡なのでうまく説明できないが、‘電子音に乗っかったのっぺりした女性ヴォーカル’が好きだ。
そんな私なので、このところと何かと話題の初音ミクの歌声にやられてしまっていると素直に認めることやぶさかではありません。無機質な透明感が好きなのですよ。それに、今のところの技術的限界でしょうか、多少外してしまう、無機質に外してしまうところも好きなのですよ。
それにしてもこの現象というブーム、これには唸らされてしまいます。バーチャルアイドルというと、ウィリアム・ギブスンの『あいどる』ですとか、やはり、シャロン・アップル抜きには語れないでしょう。
そう、シャロン、シャロン・アップルといえば、ジェイムスン型サイボーグに移植されたニセ菅野よう子がシナイ山から降りてきてヨルダン川西岸を荒らした(本当の菅野よう子はもっといい人)、あの『マクロス・プラス』のヴァーチャル・アイドルです。私は、アルバム持ってますもの。たーた、たーた、たー。
ただ、シャロン・アップルと初音ミクの圧倒的な違いは、初音ミクに特定のプロデューサーが存在しないことではないでしょうか。情報の海から生まれた一生命体ではなく、情報の海に偏在し、偏在したままで、さまざまな形をとり、スタイルを持ちながら、なお初音ミクとしての同一性を持つ……、何でしょうか。そういう意味ではアイドルではないのかもしれません。エジソン抜きの未來のイヴ。形而上のこともここまできました、リラダン先生。ネットは形而下ですか?
それはそうと、歌ったり踊ったりするから思わずアイドル視してしまいましたが、そこのところどうなのでしょう。いろいろな人が自分のスタイル、趣味で初音ミクを使うさま、むしろ、アニメや漫画などのキャラクタを、さまざまなイラスト趣味、漫画趣味の人達が、自分らなりに仕上げて発表していくさまに似ているようにも思えます。絵柄も、内容も、性格も違うかもしれないが、一応は同一性がある。それが、二次元、三次元(フィギュア)に形作られるばかりでなく、声を持つにいたった。歌うにいたった。それが初音ミクでしょうか。これはやがて、個人個人にオリエンタル工業的技術が行き渡り、それがアシモなどの動きをしていく予兆でしょうか? それともあくまでネット上に留まるのでしょうか。
それとも、われわれが、われわれの方こそが自然の肉体を捨てオリエンタル工業的擬体に入り、最新型のオノ・センダイで没入していくのでしょうか、広大なところへ……。三次元終わったな。
ところで、自然の作品の中で最も精妙なものと見なされた作品、自然の創造物のなかで最も独創的かつ完全な美しさを具えているとあまねく認められた創造物、こいつをじっくりと吟味してみねばならぬ。つまり、女のことだ。いったい、人間は造形的美の見地から、女によく匹敵しうる人工的生き物を、自分の方でも、独力で、つくり出しはしなかったろうか。姦淫の喜びのうちに孕まれ、子宮の苦痛とともに排出される生き物にして……
『さかしま』J.K.ユイスマンス より
……デ・ゼッサント先生はこのあとに「機関車より美しい女があるか!」「ここにいるぞ!」「ドカっ!」と続いちゃうので(ここにいるぞ以降は嘘です)引用はしっくりこないかな……。