三十分後の世界

 俺の会社の始業は九時三十分である。俺の出社時刻は±十五分、いや、+十五分以内といったところか。俺は重役ではないが社員でもない。だから、いいのだ。昨夜だって一人残業だ。とはいえ、三十分遅れるとさすがに気が引ける。今朝はその三十分遅れになった。なんだか、知らない間に。
 というわけで、俺は普段の三十分遅れの世界を歩いて出社した。そして、何もかも違ったので驚いた。たった三十分違うだけで、世界が違って見えたのだ。もう、朝ではなかった。昼の空気だった。世界が落ち着いているのだ。撹拌の後の沈殿、そんな感じだ。あるべきものがあるべきところに収まっている、そんな感じだ。朝の大移動は終わっていたのだ。
 こうなると、こんな時間にほっつき歩いている俺は、どうにも放浪者や根無し草の気分になる。いや、それは違う。本来そうなのに、毎朝、そう、朝のほぼ決まった時間に出勤などしていたから、あるべきところの一員のような気になっていただけなのだ。ああ、それにしても昼の街。風邪で学校を休んで、医者に行った帰りにふと感じた、あの静けさ。俺は昼や昼下がりに外をほっつき歩きたくなった。どこぞの団地妻とでも不倫して、昼下がりの住宅街をずるずる歩いていくような生活がしたいと思った。それはとても光り輝く世界だろう。とても、ぴかぴかと。