『1809―ナポレオン暗殺』佐藤亜紀

ASIN:416764701X
 久々に小説にのめり込んで、一気読みしちゃった。というくらい、この小説、面白い。佐藤亜紀という人、正直言ってあまり知らない。あるサイトで話題になっていて、それも作品の感想ではなく「SF出身作家の悲哀」みたいな文脈だった。それで、ちょっと気になって一冊買ってみた。これ、大当たり。
 舞台は1809年、ウィーン。主人公は、フランス軍の工兵、得意技は架橋。それが、こう、まあ、殺人事件の現場に居合わせることとなり、それからタイトル通りの大きな陰謀に巻き込まれていくわけで。しかし、このわけのわからないところにかかずりあうようになって、目に見えない大きな力と対峙したり、直接的な危害に遭ったり、目の前の人間が敵か味方か……という緊張感、ミステリ、いや、ハードボイルドのにおいを感じる。『マルタの鷹』やジェイムズ・エルロイか、という具合。どことなく「歴史活劇」(カバーの宣伝文句)というには暗く、虚無感漂う雰囲気そう思う。
 でも、あなた、舞台は1809年のウィーン。バックにはナポレオン・ボナパルトの戦争。巻末解説によれば、ヨーロッパにおけるナポレオンの戦争は、日本人にとっての三国志、戦国時代、ガンダムのようなものという。そのあたりの知識、俺は当然ない。でも、フランス革命ものの小説なら、わずかながらに読んでいて、これが『九十三年』(ヴィクトル・ユゴー)の十六年後か、とか思ったり、ああ、それにジョゼフ・フーシェも同時代か。フーシェツヴァイクの伝記で読んだが、そうか同時代。ウィキペディアフーシェをひけば、「再雇用された後もタレーランと策謀しナポレオン追い落としを狙っている(1808年)」などとあって、そういえばこの小説にもドンピシャで一回名前が出てきた。そうか、その時代、秘密警察も跋扈し、宮廷での権謀術数メッテルニヒというもの。その時代背景もマクロ・ミクロで描いてみせてくれてなおよし。
 というわけで、この小説の魅力は架橋や都市、食事、剣術などなどの緻密なディテールに支えられている(もしもこれが想像で書かれたものなら、調べたよりすごいが当然調べたのもすごいのだ)わけ。でも、でもですよ、そういう「よくお勉強しました」という土台的資料的小説で留まらないのがいいのだ。何よりまあ登場人物の魅力がある。
 当然、話の核たるウストリツキ公爵、これ。けっこう長回しの台詞で一席ぶったりするわけで、これはサドの小説に出てくる怪人たちのごとき、ぎらついた魅力もある。しかし、そう一筋縄でない、そんなところ。それにその弟君にその妻ときてその妻は公爵の愛人で、と、いろいろと寝取られ話が好きな小生も大満足。
 なんかまあ、魅力を伝えられないな、俺じゃ。当たり前か。でもまあ、伝える必要もないだろう。でも、もっと、なんというか、それこそ海外で大金投じて映画化したって悪かねえ、そんな小説。これを、俺、そんなに内外の小説を読んできたわけじゃないが(最近東スポにすっかり鞍替えしたので、内外タイムスも読まなくなったが)、日本で書いている人がいるというあたり、それを今まで知らなかったというあたり、もったいなかった、しかしこれから読む喜びもある、そういうところ。