プロレスってなんだ? 『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』ミスター高橋

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◆今さらミスター高橋
 桜木町地下、ハードカバー、百円、汚れあり。いつか読んでおかねば、と思っていたのが本書。古本屋などでもちょくちょく気にはしていたが、ターザン山本の対抗本はあっても、なかなかこれ自体にお目にかかれなかった。プロレスファンには悪いが、プロレスを巡る話、エピソードが好きで、その中にはこの本が始めた、あるいは終わらせたような議論も含まれる。それで、とにかくこれを読まねば、という思いがあったのだ。読み終わった第一感としては、思ったより暴露暴露していないな、というもの。何より、リアルタイムを知るよしもない昔の話が興味深く面白い。よくも悪くもアントニオ猪木の存在感ときたらない。でも、これがある種のプロレスファンに大きな衝撃を与えたのも事実なのだろう。俺とプロレスはどんなだったか。
◆夕暮れのプロレス
 小学生のころ、塾に行く前のひととき、よくプロレスを見ていた。夕方、一人で家の中、電気グルーヴが歌うところの「なんだかわびしい気持ちになったことはあるかい」の心持ち。テレビの中、クラッシャー・バンバン・ビガロ、そしてビッグバン・ベイダー。ベイダーはよくテレビに出ていたので知っていた。あのかぶり物が好きだった。蝶野正洋は、黒くなる前。それに武藤敬司、パンツが派手な色だったように思う。毛はあった。こうなると橋本真也が居たはずなのだろうけれど、不思議と覚えていない。あと、体格のいい外国人で、赤いパンツの後ろにドクロのマーク、遠目にはパンダにしか見えなかった。そんな夕暮れ。
◆便所で打ち合わせてるんだよ
 プロレスが勝敗を競うものでないのを知ったのはいつのことだったか。上に書いたときには、そう思っていた。かなり小さいころから、父親にそう教えられていた。曰く「プロレスはレスラー同士が、試合前に便所で小便しながら打ち合わせてるんだよ」。「どこぞの原住民が化粧して着飾って『俺の方が強いぞ』ってアピールするのと一緒だ」。そう聞いて、幼心にそうかと思った。父は別にプロレスファンというわけではなかったが、マスコミの記者であったこともあり、そのあたり通じていた可能性はある。後者に関しては、今思えばどこぞのインテリ的プロレス論だろう。別にどちらも否定的に言っていたのではなく、プロレスとはそういうものだと教えようとしたのだろう。
◆プロレスファンとの邂逅
 生身のプロレスファンと初めて話したのは中学に入ってから。一人だけプロレスファンがいたのだ。だいたい、このころになると、いや、別に親から教わらなくとも「プロレスはうさんくさいぞ」というのは共通認識になる。となると、プロレスファン君は孤軍奮闘だった。プロレスの話題になれば、「どうしてロープにふったら戻ってくるの?」「それは、相手の力を十引き出して、自分が十一の力で……」。「結局誰が一番強いの?」「それは、一概には言えなくて、三すくみのような関係もあって……」。古今東西、全国津々浦々。
◆小川と橋本
 中学に上がり、生活時間も変わると、プロレスはとんと見なくなった。そのあと随分経って現れたのが、小川対橋本だった。ゴールデンタイムの扱いだった。K-1総合格闘技を見る機会も増え(確認)、プロレスの様式を、正直言って見下すように思えるころだった。K-1がどこまで真剣勝負なのかは知らないが、少なくともパンチやキックの説得力において、プロレスは陳腐だった。それで、小川がそちらの代表として出てきて、なんだかわからないが橋本をボコボコにしているという印象。結局これがなんだったのか……。それはこのミスター高橋本の中でも完全に明らかではない。しかし、推測は書いてあった。

(猪木が)小川をたきつけて勝手にセメントを仕掛けさせ、戦闘準備のない橋本を一気につぶしたのだと思う。

 ともかく、このテンション、この迫力がずっと繰り広げられたら、俺はそのまま新日本プロレスを見続けていただろう。後頭部強打を繰り返す迫真の戦い、八百長もクソもない。しかし、これよりほか、期待したいものは与えられなかった。無い物ねだりなのはわかっているが。ただ、この本にも出てくるプロレス界の‘襲撃事件’など、まだプロレスの真剣勝負さが保証されていたころの時代ならば、きっと俺も夢中になったに違いない。つーか、著者の証言を信じるならば、空手家抗争アングルや猪木の失神一人芝居、これほどの虚と実の混ざり合いならば、今でも十分に面白いはずじゃないかと思うが。
◆大晦日の永田さん
 この本ではプロレスラーに総合をやらせるアントニオ猪木に否定的だ。自らは二試合(一つは半ば偶発的)しかしていないのに、と。つぎつぎと総合に狩り出されて、使い捨てにされたプロレスラーたち。これでプロレスが失ったのは、客だけではあるまい。俺がいまだに疑問に思うのは、狩り出した猪木なら猪木は、レスラーたちが格好をつけてくれると考えていたのかどうかだ。単に活を入れるというには、傍目にも無理があった。失神した人に活を入れて肋骨をへし折るようなものに見えた。
空中元彌チョップとカミングアウト
 この本の訴えることは、プロレスのカミングアウト。すなわち、真剣勝負ではないことを告白し、エンターテインメントであることを明確にするべしという提言。曰く、アメリカのWWFもその上で大成功をおさめている。プロレス中継にしたって、もはやそうでないことは明らかなのに、建前を守ってスポーツ中継の形式を取るから魅力がない。真剣勝負でないことへの後ろめたさや負い目があるから日陰のままだ。秘密厳守の‘プロレス村’を守る必要がなくなれば、老害を排し、より上手いレスラーが活躍できるようになるだろう……などなど。
 いいことづくしだ。説得力がある。だが、非プロレスファンの俺としても、そこまでうまくいくのかどうかは疑問だ。第一、空中元彌チョップが同じプロレスとして通っている今(あれを伝えるときのワイドショーコメンテイターの薄ら笑いは、ハッスルだけでなくプロレス全体に向いていたのだと思う)、そしてこの本が出てもう五年も経つ今、さらに鞭打つように告白する必要があろうか。プロレスの大部分がそういうものだということは、二十年前のガキだって知っていた。たとえば、大仁田厚セッド・ジニアス裁判で「筋書き」に触れられようが、たいした話題にもならない(でも、Yahoo!のトップくらいにはなったか。同じ裁判なら、ケンドー・カシンの裁判の話の方がずっと面白いhttp://number.goo.ne.jp/kakutogi/column/20051012.html)。それで、今までのある種の側面を全否定して、大丈夫なのか。勝負の建前を捨てたからといって、いきなりエンターテインメントのキングになれるほど甘くはないだろう。むしろ、グレーゾーンのグレーたる部分、芝居の中にあって「セメントでは?」と思わせる部分を切り捨てて大丈夫なのだろうか。
 それに、whyについて説得力があっても、howの問題が残る。どうやってカミングアウトするのか。いきなり唐突に記者会見でも開くのか。その点がむずかしい。この本では、アントニオ猪木その人がやるべきだというようなことが、ちらっと書いてあるが。しかし、それでも建前上曖昧なままよりはいいのかもしれないと思えることもある。たとえば、プロレスラーがバラエティ番組に出ても、現状ではそのあたりに触れにくそうに見える。それは、「触れてはいけない恐ろしいタブー」というわけではなく、どちらかといえば「触れたらかわいそう」に近い空気がある。生暖かい空気がある。それじゃあ本当にレスラーがかわいそうでは、とも思う。

いつ半身不随になったり、死んだりするかわからないようなリスキーな仕事ではないとわかれば、職業としてのプロレスラーの仕事の魅力はぐんと高まると思う。

 この本ではこんな風に書かれている(わかれば、というのはカミングアウトすれば、という意)けれど、ハヤブサの例などもあって、決してそうとも言い切れないし、長年の選手生活で蓄積されるダメージだってあるだろう。だいたい、カミソリでカットする時点でリスキーな仕事だろうて。それなのにメジャー団体の若きエース格が、地方のスナックやクラブで宣伝営業するために演歌を一生懸命覚えて歌っているだなんていのうはひどい(ソースはこないだの東スポ)。若い人もプロレスラーになろうとは思うまい。このままジリ貧ならば、何かしたほうがいいのかもしれない。
◆結局、俺は何が見たいのか
 こうだらだらと長く書くように、俺はプロレスファンでもないのに、プロレスには興味津々だ。だいたいこの本だって、暴露の真相などというものより、折々に出てくるプロレスラーのエピソードが面白かった(先にいろいろ出回っている話をネットで読んでいたということもあるが)。そうだ、プロレスにまつわる話は面白い。下手にウィキペディアのレスラーの項目など読み出すと止まらないし、2chのプロレス板だってしょっちゅう読んでいる。この興味が、深夜にテレビを見るところにつながればいいのにな、と思うが、そうでもないのがもったいなくすら思う(とはいえ、こういった部分は自分の性質もあるかもしれない。ほかのスポーツでも一緒だ。文字に行ってしまう性質、文字になった表層的なところしか見られない性質)。
 では、なぜつながらないのだろう。やっぱり、「本当に強いのは誰か」という興味が強いのだ。人間が二人いて、どっちが強いのか。野蛮で幼稚な興味。学年で一番喧嘩が強いのは誰か。芸能界で最強なのは大木凡人らしいぜ(←出所も含めて最高に好きな最強伝説)。そういう興味。突き詰めてしまえば、『グラップラー刃牙』の最強トーナメント編の世界。漫画の世界、あれが理想。現実の総合格闘技は、相撲ルールなどに比べれば近いかもしれないが、やはり一ジャンルにすぎない。ジャンルや階級の枠を越えて、誰が強いのか見たい。別に人類最強でなくてもいい、金子賢とクレイジーホースでもかまわない。戦うのが見たい。人類でなくてもいい。サイとゴリラはどっちが強いのか(id:goldhead:20061025#p1)、日本のカブトムシとヘラクレスオオカブトが闘うとどうなのか(id:goldhead:20050217#p4)。それでもいい。生物でなくてもいい。日本刀とマシンガンでもいい。俺って本当に野蛮な生き物ね。でも、そういう野蛮な興味を、それなり多くの人々が持っているのではないかと思う。その野蛮な興味に、かつてはプロレスが応えていたのかもしれない。それがそうではなくなった。では、どうするのか。プロレスファンにしかられるかもしれないが、時代対プロレス、その戦いも面白いとでも言えばいいのか。