訃報・三沢光晴/プロレスファンとはいえない俺になにがいえるのか?

 最初に書いたのは、はじめて三沢光晴の訃報に接したときのこと(それは忌野清志郎のそれを知ったときと、ほとんど同じような経緯だった)、土日に俺が酒ばかり飲んでいたこと、今朝の日テレのワイドショーで、はじめて詳しい経緯を知ったこと、その距離感と、俺とプロレスとの妙な距離感について書いた。書いたけれども、しっくりこないのでブラウザを閉じた。
 二つ目は、三沢光晴の訃報を一面にした日刊スポーツ片手に、職場の、年上の女性たちに「三沢さん、知ってます?」と話しかけたときの話だ(注:俺はプロレス情報を東スポで読むくらいしか知らない。以下、なんとなくプロレス知ってる側の人間のようにふるまうのは、相手との差による)。まったく、三沢さんは知られていなかった。彼女らにとって、レスラーといえばジャイアント馬場アントニオ猪木、あるいは大仁田厚といったところだった。馳浩については、「大仁田ではない国会議員」として認知されていた。佐々木健介北斗晶にいたっては、「え、プロレスラーだったの?」と驚かれた。いったい、なんだと思っていたんだろう? もちろん、小橋や秋山の名も顔も知らない。百田光雄の写真を指して、「これは力道山の息子です」と言ったら、「あの野球の子のお父さん?」と、微妙にコアな質問を返された(俺も知らなかった。詳細についてはwikipedia:力道山)。
 ただ、ジャンボ鶴田については知っている人がいた。若いころ、彼女の女友達に縁談があって、それがジャンボ鶴田だったという。だから、名前だけはよく知っているという。縁談があった。すすめられたのはジャンボ鶴田だった。それがいったい、どのくらいの意味を持つのか、俺にはよくわからない……。これも消した(消したけど、また書いてるから、あんまり意味がない)。

 俺と、プロレスについては、この本の感想に書いたとおりだ。俺は、プロレスに興味があるけれども、ついぞその中に入ることはできなかった。なんともいえない。ところで、上のメモの中の引用箇所が……。

 いつ半身不随になったり、死んだりするかわからないようなリスキーな仕事ではないとわかれば、職業としてのプロレスラーの仕事の魅力はぐんと高まると思う。

 この本ではこんな風に書かれている(わかれば、というのはカミングアウトすれば、という意)けれど、ハヤブサの例などもあって、決してそうとも言い切れないし、長年の選手生活で蓄積されるダメージだってあるだろう。だいたい、カミソリでカットする時点でリスキーな仕事だろうて。それなのにメジャー団体の若きエース格が、地方のスナックやクラブで宣伝営業するために演歌を一生懸命覚えて歌っているだなんていのうはひどい(ソースはこないだの東スポ)。若い人もプロレスラーになろうとは思うまい。このままジリ貧ならば、何かしたほうがいいのかもしれない。

プロレスってなんだ? 『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』ミスター高橋 - 関内関外日記(跡地)

 今、ここで、カミングアウトの是非論などは関係ない。ただ、長年プロレスを見てきたミスター高橋が「いつ半身不随になったり、死んだりするかわからないようなリスキーな仕事ではない」と述べているところ、やはりここは疑問が残る。最近あった、訓練不十分の人がリングにあがったり、プロレスの大技練習をすることによる事故、それとはちょっと話が別として、三沢が、事故で、亡くなったんだ。三沢っていえば……、俺が言うべき言葉はないにしろ、そんな次元の選手とは違うよな、と。
 だから、なんというか、なんといっていいのかわからんが、やはりプロレスはリスキーだし、命がけの、なんというか、命がけのプロレスなんだろうっていうか。なんていうか、たぶん、蓄積したダメージもあるんだろうけれども、この、三沢の一瞬にも、なにかすごい運命を分ける、ほんのわずかな、避けられなかったなにかがあったんだろうと思う。そんな一瞬のものがあるもの、それは、やはり偉大なる場所なんだし、なんというか、それが、エンターテインメントとして、ショーとして認められた上で、なおかつ成り立つのかどうか、やはり俺は、外の人間として、なんともいえないよ。ショー化が正しいとも誤っているともいえない。わかんない。ごめん。
 というわけで、プロレスファンでもないのに、三沢ファンでもないのに、三沢の死についてなにか語るべきか、俺にはよくわからなかった。が、なんというのか、三沢の訃報を、ケータイで、はてなブックマークの人気記事経由で知ったときの、あの、なんか嘘じゃないかというか、非常にリアリティを欠いた感じを受けたこと、今朝のワイドショーで、生々しい事故直後の映像を見て、なんともやりきれない思いをしたこと。やはり、日記に書かないわけにはいかないのだ。ごめん。そして、さらば、三沢さん、俺はあなたをたくさん見ることはなかった。ただ、たくさん見た人がいて、多くの人が多くの言葉を語るだろうし、俺はこれから、たくさんそれに触れることだろう。プロレスラー、プロレスラー、いったい何なんだ、あなたたちは!

関連______________________