O.C.コンフィデンシャル

http://www.j-cast.com/2006/12/19004459.html

「賠償金が欲しいというのではなく、これ以上の事実誤認の情報が流れないように(多額の賠償金を課すことで)抑制力を発揮させたい」

 オリコン、正直すぎ。そりゃ、裁判を起こすのは勝手だ。大企業も個人もオリコン烏賀陽弘道氏(最初、姓が烏賀で名が陽かと思った)も法の下では平等だ。法的にはなーんの問題もないし、法的にだけ見れば当然の措置なのかもしれない。 
 だけれども、こんな手を打って、「抑止力を発揮」て言ったら、チャートの信憑性なんてものより、会社としての姿勢に疑問を抱かれる可能性だってある。やましいところがないのであれば、いくらだってメディア使えるのだし、堂々と反論して、「こんなこと言ってる烏賀陽はインチキだ」、「オリコンはこんなにすばらしい」って展開すりゃよかった。それなら、まだフェアだったし、ネットで話題になろうとも、双方の情報を見比べて判断するくらいの土壌はあるはずだ。
 それを、わざわざ武富士の裁判を思い起こさせるような訴訟に持って行くというのは、どうにも解せない。そうだな、「許せない」とか「いけないと思う」より「解せない」だな。そもそも、主要新聞の一面をかざったわけでもない、はっきりいってそう有名でもない雑誌のあの程度の記事、黙殺しておいてどれだけの損害があったのかと思う。規模は問題ではない、といわれればそうだが、書き手ですらないコメントに五千万、違和感を覚えない人は少ないだろう。おまけに、出版社を訴えずに離間の計を図ってるように見えるのも変だ(http://www.ultracyzo.com/cyzo/contents/0701/kenkai.htmlサイゾー側がライター支援を打ち出したのはすばらしい)。なんかつつかなくていい藪つついちゃったんじゃないのって思う。
 というわけで、訴えられた人のサイト(http://ugaya.com/column/061219oricon.html)にある「言論・表現の自由という基本的人権」、「言論の自由へのテロ」、「民主主義の破壊」なんて言葉に鼻白む人も少なからずいそうだし(俺もちょっと)、ジャーナリストには、いや、あらゆる人間には自分の発言に対する責任があるのも確か(見かけ上の匿名発言だって同じだろう)。だからといって、このやり方はどうなのか。司法にはここらあたりをはっきり判断してもらいたいと願うところ。
 というか、法にもちょっと問題があるだろうか。この手の訴訟って損害賠償でしかありえん(つーか、「賠償金が欲しいというのではなく」なんて表明しちゃって、裁判は大丈夫なのか?)し、その損害額も主張したもの勝ち(起こした時点では)。で、その額自体が金を要求する攻撃になるってのは、いささかアンフェアに思える。裁判の前に金で勝負が決まりかけている。これは「自分の言論に責任を持って、裁判を受けて立て」という責任論の範疇を超えてるんじゃあないか。かといって、事実確認のみの裁判、というのは、おそらく法の小手先ではなく法体系の根っこの方の何かに関わるのかもしれない。そのあたりはわからない。ただ、今のままでは五億、十億の裁判だって、それだけの着手金をいとわない存在にとっては起こせるわけだし、何かしらの何かが必要のようには思えるのだけれど。