赤コーナー、ポリティカリーインコレクト亀田

http://www.nikkansports.com/battle/kameda/p-bt-tp1-20061220-132694.html

「オレの体も黒人レベルや。力でねじ伏せるよ」

 「黒人レベルの体」とは、何を意味するのでしょうか? ブラック・ピープルのひとびとが、みなボクシング競技に向いた身体的特性を有しているということを意味するのでしょうか? はたしてそれに、科学による客観的な裏づけがあるのでしょうか? 単に「黒人は身体能力が優れている」という先入観と決めつけでしかないのではありませんか。ブラック・ピープルにもいくつかのルーツがあることをふまえてすらいない発想です。たとえそれが、能力の高さを称揚するものであっても、人種間による能力の高低を認めることは、たいへん危険なことです。身体に差があるのならば、知能に差があるのではないか、倫理観に差があるのではないかという、差別的発想に繋がることは明確です。そして、それは往々にして客観的事実ではなく、そう思いたいという印象、そうであってほしいという願望によって強化されていきます。行き着く先がレイシズムです、ナチズムの恐怖、民族浄化の悲劇です。いくら成人になったばかりとはいえ、このような人物が日本人の代表の一人として、ボクシングの世界王者であってよいのかと、疑問に思わざるを得ません。そもそも、歴史に名を残すアスリートたちを、「黒人」とひとまとめにしてしまうことも、ボクシングの歴史に対しての侮辱です。彼らがブラック・パーソンであったことではなく、それぞれの個人の個性や努力を見つめるべきなのです。しかし、こうした発言が出てきてしまうことは、亀田さん一人の問題とは決して言えません。サッカーの国際試合などに顕著ですが、ブラック・ピープルによって構成されるチームが日本代表と対戦する場合、「身体能力の高さ」に言及しないことはありえませんし、日本は組織力とテクニックで対抗すべきだという論につながるのもありがちです。この時点で、黒人に組織力やテクニックは望めず、また、日本人は身体的に劣るという先入観に支配されているのです。かような現状を打破して、ひとりひとりのピープルとしての個性が活かされる、平等で自由、そして平和な社会を作るために、わたしたちひとりひとりの意識の変化と、行動が求められているのだと思います。(48歳・団体職員)……とか言われちゃうぞ、亀田。つーか、遅れてきたボビ男? みたいな。
 で、減量は成功したんだろうか。前回のランダエタ戦、計量を見た印象は「ガリガリでパサパサ」(id:goldhead:20060802#p4)。今回は黒くて油っこい感じはするが。ひょっとして、モヒカンにして剃った髪の毛の分だけ……という過酷な状況では? いや、元はボウズだし、ボウズにすりゃいいだけか。まあいいや、コンディションなんてやってみなきゃわからん。
 ……という以前に、「コンディションや実力が試合を決めるのだろうか?」という疑問を、やはりちょっと抱かざるを得ない微妙な存在なのは確かなのだけれどな。でも、その上でランダエタを応援しようっと。けど、ここでランダエタが勝って、またランダエタ再々戦とかになって、炎の十番勝負とかやられてもつまらん。ランダエタは、そりゃ強いボクサーだろうけど、あくまでミニマム級暫定王者経験者。もっと上の選手とやる亀(ボコられる亀)を見たいという思いはある。
 まあ、ランダエタに勝ったところで、そうなるかどうか。ライトフライは限界とか言ってたのに、オマール・ニーニョ・ロメロが薬物問題でゆれていると見てか統一戦とか言い出してるしな。まあ、戦う前に勝つ(勝てる相手としか戦わない)というのは、兵法の基本かもしれないけどな。戦争じゃなくてスポーツ・エンターテインメントだしな。