さて、帰るか

 昨日は午前二時を過ぎてしまったが、今日は日付変更前に帰る。俺は相変わらず愚痴だけれどもいつかとは違う愚痴になったように思える。思い違いなら思い違いでいいが、思い違うには一度思わなければならないし、思わぬことには違いにも気づけずに進歩もない。思う前に分ける、分かるわけにはいかない。とはいえ、日常でやはり俺は他人とのコミュニケーションが怖いし、さぼり癖が変わったわけでもなく、何も変わってはいない。急にスワヒリ語がしゃべれるようになったらすてきかもしれない。俺は自分が欲にまみれた人間であること自称しても構わないが、それも本心そのものを言い表しはしない、そういった違和感はある。もしも本当に欲にまみれた人間ならば、欲を満たすための努力や恥、克己心をいとわない。欲がないとは決して言わないし、ある方面への欲は相当なものだけれども、ある種の欲心についてはスカッと抜けている部分を自らに認めることに恐怖は感じないことを認めた。認めてみると楽なことに気づいたし、その認めることが自己憐憫や自己愛の発言でもないことも今のところは偽りないように思え、思い違いなら思い違いと思うまでは思っていても構わないように思える。それで生活の何が楽になるかというとわかった話ではないが、生活に見えないところで楽であることは楽しい。高い代価を払ったわけでもなければ、大きな賭けをしたわけでもなく、無いところからたまたま芽が出てきたようでおかしい。何か悪くないと思うことは悪くなく、思い違いとわかるまでは思っていてよいのだと思う。