昨日の最終、今日のメーン、明日のメーン

 昨日帰って、東スポぺらぺらめくってて競馬欄、大井の最終レース十分前なので買おうって思って、検討もなく、ひいきの山田信大の追い込み馬、アリマエクセレント買おうって思って、ぱぱぱっと入金、ログインして、まだ時間あって、そこで馬柱なんか見て、単騎逃げできそうな張田京の馬見つけて、あれ、こっちじゃんって、そっちの単とワイド流しして、そしたら山田の馬が、実況で聞いただけだけどさ、結構早めに上がってって勝って、単勝十七倍とかでさ、死のうかと思うわけで、それで、今日の中山のメーンにひいきのシルクヴェルリッツ出てくるんだけど、この馬はさ、平坦左回りで末脚爆発タイプで、右からっきしでさ、おまけにハンデも五十八キロもらって、それでも鞍上内田博幸内田博幸と俺の相性は最悪なんだけど、あるいはほれ、ネイティヴハートみたいな例もあるしさ、でも、どうしようかとか、明日のメーン、ダービー卿CTに、次走注目しようとか思ってたサイレントプライド出てきてさ、中一週、いきなり重賞、ここんとこの準オープン勝ち抜け馬の実力とか考えたら通用しそうな気もするけどさ、まあ、たとえばひいき騎手の馬券買い損ねたことと、次のメーン、別のレースに、事象としての連続性はないわけだけれども、それを認識する俺の方の問題、俺の方が運の流れのような連続性を考えてしまう、惑い、惑わされている、ただ、その惑いに、ときに博打の妙味もあって、惑いなくこの主体もないけれども、その実は、空、やはり空なのだと、思ったところで、締め切りベルが近づけば、決断を下さねばならない、決断がまた因になり縁になり果となって尽きることはない。