お前はどう思う? キムさん

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070612-00000201-yom-int&kz=int

金総書記、休まずに歩ける距離は27メートル?…英紙報道

 俺、「なんで27メートルなんだ?」と思わず首をかしげる。賢い人なら、「英紙報道」の四文字から「ははん、ヤードだな」とか思いつくのだろうか。ゴルフやる人も気づくだろうか。でも、たとえば、もしも、次のような数値だったら俺もピンとくる。

金総書記、休まずに歩ける距離は1609.344メートル?…英紙報道

 「ははあ、マイルだな」と。そして、なかなか健康じゃないか、キム、と。
 それはそうと、この表記はどうなのだろう。たぶん、英紙の言いたいことは、あんまり歩けないってこと。ほとんどそんぐらい弱まってるってこと。別に金正日に歩行実験させて測定したとかいう話ではない。30ヤードは一種のたとえだろう。
 が、これが「27メートル歩けず」だとどうだろう。歩行実験、測定の世界にようこそだ。これには違和感がある。あって仕方ない。まあ、そんなことは新聞社の書き手も百も承知。ゆえに文中でちゃんとフォローしてるわけだ。「30ヤード(約27メートル)」って。でも、見出しはヤード・ポンド法には従えない、というところだろうか。
 でも、別の対処をしているところもある。時事通信の記事。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070611-00000180-jij-int

休憩なしで30メートルも歩けず?=金総書記に健康悪化説−英紙

 これはニュアンス優先の翻訳。「27メートルなら、だいたい30メートルでいいじゃねえか」って具合だ。3メートルとなると、場合によっては誤差どころではないが(3メートルに限った話ではないが)、この場合はオッケーな差だろう。「27メートルも歩けず」よりは、原文のニュアンス、テイストを伝えてるのではないか。
 むろん、「30ヤード歩けず」が一番なのかもしれない。が、冒頭書いたように、俺はヤードといわれてピンとこない。日本人の多くは……そうじゃないだろうか。わからんが。
 この手の単位をめぐることがらは、翻訳小説を読んでいたりしてよく感じる。映画の字幕もだ。正直、こっちが慣れ親しんだ単位に直してくれ、と思う。フィードやポンドといわれても、わからんのだ。想像できんのだ。マイルだって、競馬のように距離ならいいが、「時速60マイル」といわれるとわからんのだ。
 だが、しかし、その杓子定規でいくと、上の30ヤード27メートル問題が出てくる。これが小説のことで、小説家が、「‘30ヤード’に特別な意味を持たせたい」と思ったところを、「‘27メートル’」に書き換えるのは翻訳としてどうなんか、と。ジョン・アーヴィング『THE 158-POUND MARRIAGE』(『158ポンドの結婚』)というタイトルを、『72キログラムの結婚』にしていいのか、と(158ポンドをもっと細かくいけば71.6675945キログラムだけど、レスリングの階級だから72kgでいいかと。となると、『72kg級の結婚』か?)。でも、それでテイストは伝わるのか? みたいな。
 というわけで、読売と時事で「約27メートル」と「約28メートル」で食い違うあたりも気になるが、まあ人と単位と文化について、いまいちど深く考えてみてもいいんじゃないのか、なあ、そう思わないかキムさん。あんた実際、何ハロンくらい歩けるんだ?