こういうのにつきまとう違和感はどうすればいいんだ?

「今の名前で修学旅行に」 女子高生が麻生外相に要望
http://www.sanspo.com/sokuho/0612sokuho029.html

前夫との親子関係を否定する手続きを取ると、現在の居住地が知られる恐れがあるため、戸籍を作れない状態が続いている。

 戸籍制度の問題点や是非について何かいえるほどの材料もない。300日規定とかいうやつについては、今の価値観からすると、ちょっと変かな、とくらいは思う。この件で、無戸籍の女子高生にパスポートが発給されたことに関しては、まあよかったんじゃないか、と思う(しかし、「修学旅行で海外かよ」と思う俺は古いのだろうか?)。本人に生まれの責任はないわけで、どんなに複雑なところ親の元に生まれるかなんてのは、偶然に過ぎないわけで。
 しかし、しかしだ。ここまでくると、なんだかネガティヴな目で見てしまう。引っかかるのは上の部分だ。多くの支援を得て、1万4600人分の署名を集め、ついには時の外務大臣に直談判するほどの大活動をするくらいにもなって、まだそんなにDV旦那は脅威なのか、と。どんだけ危険人物なのか、と。
 そりゃあ、この子の母にとってみれば、心理的なものすごい恐怖があったりするのかもしれんし、それは外から否定できん。しかし、ここまでの運動になれば弁護士などの味方もあろうし、1万4600人とはいわんでも、金銭的な支援だって受けられよう。それで、一時的に住居を移して、親子関係否定の手続きなどをすりゃあいいんじゃないのか。そっちの方が、外務大臣に直談判するより、ずっと合理的で簡単。なんといっても目的である「今の母親の姓でのパスポート」に一直線なんじゃないのか。そんなにその前夫はやばいのか? 支援者100人で守っても駄目なのか? 仮の住所から一気に本宅を探れるほどの情報収集能力の持ち主なのか? それならなぜ今まで逃げてこれたのか、ここまで活動が大きくなっても気づかれずにいるのか? こういうことを疑問に思う俺、しかし、何かを指さして「これはこうだ!」と言い切れない煮えきれない俺。違和感は違和感のまま、あまり喜んだり怒ったりしないように。