母の母はシンキョウの女学校に通っておりました

 真上のエントリーついでに、母の母の話を。
 母の母が生まれたのは奇しくも、母の父と同じく大連である。ただ、すぐに内地に渡った祖父と違い、彼女は大陸で育ったという。母曰く「シンキョウの女学校から、修学旅行で初めて内地に来たって言ってたわよ」と。で、そのときのおれの反応はといえば「えー、新疆って、ウイグルっすか? そんなとこまで入植してたん!?」。
 ……と、冷静に考えれば満洲育ちっつーんだから「新京」に決まってるだろ、と。で、祖母、満洲の銀行で働いていたとか、当地の日本人料亭の料理人に料理というか舌の感性を激賞されたとか、わりとあやふやな話はある。馬賊に混じってソ連のスパイをしていたとかいう話はない。なお、ソ連参戦とかよりずっと前に内地に戻っていたもよう。
 というか、そのあたりについて、母も詳しく聞かないまま祖母は去年だったか亡くなった。よく話を聞かなかったことについては、母も後悔していた。そういうものか。定年退職後に自分史を自費出版しちゃうなんて人は少数もいいところだろうし、まあ全人口におけるブロガーの割合くらいかもしらん。
 そうだ、そうだ、せっかくブログなんてもんがこの世にあるんだから、とりあえず祖父母がいれば祖父母、父母がいれば父母あたりからいろいろ話を聞いて、いろいろ盛られてるの承知で、その正確さがどうであろうとも、「とりあえず我が家じゃそういうことになってんだ」ってくらいでいいから文字にして、どっかのサーバにアップしとくのは……べつになんか世界の歴史研究に寄与しねえだろうけど、わりと悪くないんじゃねえかと思う。自費出版みてえに金もかからねえし、どうも人が見てねえとっていうか、ただテキストファイル作るのはやる気がおきないもんだし。そんでもって、おれはおれの記憶もあやしいもんだから、ますます書き留めなきゃって気にもなるが、まあプライバシーとかそういうのあるしな。
 とまあ、そんなんで、わりと大日本帝国の植民地政策と国策公害企業の孫世代は思うのであります。おしまい。

>゜))彡>゜))彡

……こんとき父の母の話を聞いたのは、わりとインタビューみたいな心持ちだった。