ストルガツキー兄弟『地獄から来た青年』を読む

 ヴォガネットではなくヴォネガット。ストガルツキーではなく、ストルガツキー。本書での表記はストルガツキイ。兄はアルカージイで弟はボリス。ここ、試験に出るから。
 ……というわけで、よくも知らないがちょっと前のThe Voice of Russiaで名前を見かけたなと思って読んでみた。
 話はというと、SFだ。ネタバレになるから詳細は書かない。というか、ネタバレを書こうか書くまいか迷わなかったというか、ともかく先を知らないままに読んでほしいというわけではなく、単にかったるいからだ。つまりは、『極北』(マーセル・セロー/村上春樹・訳『極北』を読む - 関内関外日記(跡地))のように引き込まれなかったし、だれかに知らせたいと思うほどではないな、ということ。なんという上から目線。まあいいだろ、ゆるせロッシアー。これがこの著者の最高傑作でもあるまい?
 ただ、気になったのは言葉というか名詞のこと。これについて思うところはあるが、それが翻訳上の問題というより元からのものであったとしたら、なにか迂闊というか、抜けているなという気がしないでもない。どうなのだろうか。ヤマアラシやヒョウ、キャットと言ってしまってよかったのか? はじめから。要するに、地球のそれと、そこのそれは同じなのかどうなのか? 語り手が脳みそにロシア語をぶち込まれたあとの回顧と明記されてるわけでもないし。さて。さて、なんかネタばらししたみたいだけど、まあいいか。
 しかしこの、うーん、つまらなくはない。が、もう一味欲しいというか。むしろ冒頭の戦闘シーンなど読むと、このまま戦争物でもいいような迫力もあったものだが。だが、なにかこの閉塞した感じ、悪夢的な感じな。なんだろう、SF世界のことはよく知らないが、フィリップ・K・ディック旧ソ連圏で評価されていた(ような気がする)のもわかるようなというような。なにか似たようなところがある。似たような問いかけ、かもしれないし、違うかもしれない。
 それでおれはこれからソ連、ロシア方面のSFにでも手を出していこうかというと、そういうつもりもない。だが、どう転ぶかはわからん。そんなところです。

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……今思うに、バロウズみてえだな。

……ロシアのSFはこれにつづいて二冊目、だろか。