ギ・ゴールデン・ライフ


 真っ昼間から100円ローソンで買った缶チューハイかビールのようななにかプシュッと開いて地べたでごくごくやってる寿町系人間、立ち飲み屋で夏の甲子園競艇の二画面中継観ながら一杯やってる寿町系人間、おれ眺めて思うに、あれにはどうやったらなれるのか。
 一番なりたいものではないけれども(一番なりたいものは宝くじに大当たりする人間になることだ。働かないで食っていける安心をえることだ)、あれはあれで理想の選択肢のひとつと思わずにはおられない。
 ただ、ああなれる道筋というものがよくわからない。高度経済成長期にそれなりに良い稼ぎをしてそれなりに安定した老後を送っているのか、なんらかの自治体からの補助を受けているのか。定期収入があるのか。
 そもそもあれがいい生活だと思っているのは大間違いだ、というのは正論もいいところだろうが、おれがそう思ってしまうのだから仕方がない。
 それにしても、自死か路上か刑務所かなどとうそぶいていて、やはりそれが本当になりそうな気がしてならない。自分がそうなるのだと思い続けることで自己実現できるとかいう成功譚がそうであるように。具体的にそこに向かって何かをしているわけでもない(何かをするのは大嫌いだ)が、思いというのは形になりそうだ。ましてや、言葉にしてしまえばますます言霊は強まるに違いない。
 もう少し、真っ当な夢を見た方がいいかもしれない。かといって、空飛ぶ夢すら見ることのなくなったおれに、なにかまともな将来を想像するのはむつかしい。
 代わりに三つ挙げよ。
 宝くじが当たる、宝くじが当たる、宝くじが当たる。
 遠い親戚から遺産が転がり込むことは無さそうだし、近くの親戚から楽な仕事を紹介される見込みもない。親兄弟に頼れる要素はなにもない。
 やはりおれも真っ昼間からぬるいモエ・エ・シャンドンもとい路上缶チューハイ方面に向かうしかないのだが、ああなれる道筋というものがよくわからない。夜の果てへの旅に出ればいいのか。その手配はネットから注文できるのか。想像がつかない。
 ろくでもない人間が適当に歳をとる方法がわからない。死ねばいいじゃないか。なかなか死ねないものだ。それとも存外簡単に殺されるのか。それが人生だというならば面倒臭すぎる。難易度が高い。高すぎる。刑務所までいかずとも、矯正労働所のようなところはないものだろうか。
 ああ、早く死ぬべきかな。べきだろ。べき乗。なにとなにを掛けあわせても悪いものばかり広がっていく。この悪いものばかり広がっていく人生にせめてアルコールの色を添えたいものだが、おれはなぜかアルコール禁忌の向精神薬を飲んで、どうなりたいというのか。どうにもよくわからない。考えるスピードが足りない。考える分岐の数が足りない。必要なものはさらなる安定剤、安楽の薬、安楽の門。
 ぐだぐだ言ってるだけで言行一致それとも言行不一致、フィボナッチ。
 これはあれだ、夏のせい。