『タウ・ゼロ』ポール・アンダースン

タウ・ゼロ (創元SF文庫)

タウ・ゼロ (創元SF文庫)

50人の男女を乗せ、32光年彼方のおとめ座ベータ星第三惑星をめざして飛びたった恒星船。だが不測の事態が発生する。生まれたばかりの小星雲と衝突し、その衝撃でバサード・エンジンの減速システムが破壊されたのだ。亜光速の船を止めることもできず、彼らはもはや大宇宙を果てしなく飛び続けるしかないのだろうか…?現代SF史上に一時代を画したハードSFの金字塔登場。

ハードSFとわたし

 わたしがはじめて読んだSF……と言えるかどうかわからないものは、カート・ヴォネガットの『チャンピオンたちの朝食』。その後に読んだ『タイタンの妖女』はSFっぽかった。ほかのヴォネガットはといえば、SFらしくもあり、らしくもなしといったところ。次に手を出したのがP.K.ディック。偉大なSF作家という評価なのだろうけれども、どうもこれも「本流……なのかしらん?」の気分。ついでサイバーパンクに手を出して、ウィリアム・ギブスンなどはいかにもサイバーパンクで、わたしはこのジャンルも愛するのだけれど、『スキズマトリックス』あたりの方がSFという感じがした。ロバート・J・ソウヤーもSFらしいが、しかし、なんといってもSFらしいと思ったのは『宇宙のランデヴー』とその続編だったりする。
 というわけで、どうもわたしのなかの「SFらしさ」は、「ハードSF」と呼ばれるものらしい。ヴォネガットやディックは大好きだけれども、SFなのか? という疑問はつねにつきまという。別にSFだ、SFではない、という評価は必要とされていないけれども、要するに「わたしはSF読者なのか?」というような、アイデンティティの問題になると、「ハードSFをもっと読まなくちゃ」って思うわけなのだ。
 まあ、そんなことは二の次で、ハードなSFは、ものっそいSFらしさでわたしを連れ去ってくれるから好きだ。作品全体、世界全体がぶつかってきて、取り込んで、連れて行ってくれる。この移入を支えるものは、おそらくわたしの理系音痴、理系知らずによるものだと思う。もう、簡単に飲み込んで、疑い一つ差しはさまない、はさめない。理数系知識があれば、またそれで深く作品に接することができるのかもしれないけれども、わたしにはわたしの無知による喜びがある。官能小説を、童貞だからこそ楽しめる側面ってあると思わない?

これってなんのギャルゲ?

 『タウ・ゼロ』の設定は、上の紹介文のとおり。もちろん、ハードSFだから主人公はハードかもしれない。でも、もちろんそこに人間模様を描かなければ作品としてはきびしいにちがいない。そしてその人間模様なんだけれども、上にあるように50人のシングルの男女。場合によっては、発見した星にそのまま植民する計画で、そのお相手探しは船内で、ということになる。光速に無限に近づく中での恋愛模様。これ、恋愛シミュレーションにしてくれたら買いたいと思ったりした。
 しかし、解説によればニュー・ウェーブに対抗するようにフリー・セックスっぽさを描いたというけれども、そのあたりがちょっと面白い。それにしても、ヒロインの取った行動といえば、寝取られ好きにはなかなかの高評価と言わなければいけないかな。
 なーんか、SFに寝取られは深く食い込んでいるような気がするのだけれど、どうなのだろうか。設定やガジェット、ハードさのほかに、「人間模様、ドラマ性もいれなきゃ!」って思ったとき、そういった恋愛事情がお手軽なのかな……とかいう見方は意地悪かな。むしろ、食うに困ってペットショップで馬肉買う負け犬感との繋がりが……って、ハードではないなあ。
 もちろん、色恋沙汰もあるけれども、それ以上に男主人公による艦内統治のあり方というか、組織作りのあたりもテーマの一つだけれども、そのへんもそのへんというところで。なんか、もっとドロドロしたり、凶事あったりという可能性も孕んでいるのだけれども、いや、もちろんこの作品でも孕んでいるのだけれども、そこらへんのどす黒さ感はあまりないね。ハードだし、そこらあたりはある程度ドライなのがいいのかもしれない。

やっぱりハードなのはいいなあ

 で、このレオノーラ・クリスティーネ号の行き着く先は……読んでからのお楽しみなのだけれども、わたしが今まで読んだどのSFよりもとんでもないもんだった、という気がする。時間も空間も。「かーっ、これだよなぁ、SF」って、そんなふうに思わせてくれた。ようし、これからはちょっとハードなのに手を出してみようっと。