ヱヴァンゲリヲン気分抜けず

・ヱヴァ感想→http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20070909#p1
 ……蜘蛛を見てもエヴァに見えるわたくし、思ってたより精神汚染が進んでいるみたい。
 そんで、やっぱり、あらためて思ったのは、動画というかアニメというか映画の特性というか魅力というか、そういうところだったりするわけですよ。大量の情報量に載せて、数々の暗示を送りつけるメディアっていうと、やっぱりそれじゃあないかとか。ホースラヴァー・ファットが何から啓示を受けたかって話じゃないですか。
 それで、たとえば漫画だったりすれば、じーっと読めてしまうわけのところ、動画の方は過ぎ去って、頭の中にぼんやり残るだけだからなっていうわけです(あー、ビデオなりDVDになったらコマ送りでもできるけどな)。そのそれで、たとえば、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』や『フーコーの振り子』なんかも、エヴァンゲリオンよろしく(?)、謎本とか解読本が出ている類のものだけれども、やっぱ小説となると難しすぎてとっつきにくいというか、「わけのわからんこと書いてあるな」って、謎あるんだろうかとか思ったり、まあ、思わない暗示を埋め込むところがすげえんだけど、バカにはついていけなくて、ちょっと読んでいてどうしようみたいになってしまいます。でも、アニメなら、こう、観ていればいいわけで、それで、後から賢い誰かの指摘とか観て「うわー、そうだったのか」って、頭の中のもやもやにアクセスして、また観たくなったりするという。
 ああ、そうだ、また観たくなってしまった。旧テレビ版も旧映画もヱヴァンゲリヲン新劇場版も。パチンコと缶コーヒーに興味は無いけれど、一冊か二冊か読んだ漫画版は気になってしまった。俺だってたまには何かにはまりたいんです。そうなんです。