生と死の二冊の対談本について

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またBooks&Appsさんに寄稿させていただきました。また場違いな話なような気もしますが、ありがたいことです。よろしくお願いいたします。

 

新版 死を想う (平凡社新書0884)
 

 こちらの本の感想ということになります。そして、この感想文には兄弟だか姉妹だかがいるのです。

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高村薫・南直哉『生死の覚悟』、これです。『生死の覚悟』を本棚に探しに行ったら、石牟礼道子伊藤比呂美の『死を想う』が目に入ったわけです。すごい四人だ。これは間違いないと、両方手にとったわけです。

そして、「さすが!」と思いながら両方とも読み終えて、「どうせならこの二冊、四人の生死観や仏教観を比較してやろう」と思ったわけです。

が、書けねえです。あまりにも違うのです。なにかこう、二冊の本のスタンスが違う。無理矢理に分けてしまいますと、『生死の覚悟』は理論、理屈の本で、『死を想う』は情緒という具合なわけです。このご時世、こういう物言いはタブーかもしれませんが、前者は男性的、後者は女性的だとも言えます。まあ、もちろん、『生死の覚悟』が死というより信心について多く語られているなど、そもそものテーマが違うよ、ということもあるでしょう。

いずれにせよ、おれの広大な(?)構想は自分でボツにして、一つはここに、一つは寄稿して広く読んでいただこうということにしたわけなのであります。

それにしても、死について考えるのもむずかしいものです。死を考えるなら生も考えなければならない。生なしに死なく、死なしに生なし。その射程というものはちょっと想像がつかない。

それにしてもなんでしょうね、やはり一番の印象を残したのが石牟礼道子さんでしょうね。日本のおばあさんというものがこういう人ばかりであれば……いや、ちょっとエキセントリックすぎるか。それにしたって、この人の言うことを聞いていれば大きく間違わないな、という思いがあります。

むろん、この高度に発達した社会、そんな簡単じゃねえなというものではありますが、心のどこかにとどめておいて、現実に対処していく、そんな感じでしょうか。

最後に、伊藤比呂美さんですが、実はおれ伊藤比呂美の詩にしっかり触れたことがない。そこで現代詩文庫(二冊)を読んでみたのですが、これがまたなかなか難しく、いや、難解な言葉を使っているわけじゃあないのですが(使っているものもありますが)、「おれには難しい」という感覚がありまして。これはおれが女性というものをわかっていない、というか男にはわからない(かもしれない)であろうところから響いてくる声がある。なかなかに苦しい。もう何回か読み直し、あらためて感想を書くかもしれません。

では。

 

伊藤比呂美詩集 (現代詩文庫)

続・伊藤比呂美詩集 (現代詩文庫)

 

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