『ユナイテッド93』

 リストには入れていたが、空港に遊びに行った直後にこれが届いたのはDMMの気まぐれにすぎない。
 あの、9.11の映画だ。9.11といえば、海の向こうの話とは思えない。あの、テレビに映るツインタワー。そして、ペンタゴン炎上の報。あのとき俺は、掛け値無しに世界戦争だと思った。世界が終わるんじゃないかと思った。「世界と自分」に関して、人生最高のテンションになった。結果、世界大戦にはならなかったが、戦争は終わっていないようだ。
 さて、この映画をどう観よう、と少し身構える。公開時にも何か論争になっていたが、政治的意図とは完全に無縁ではありえないものだろう。とはいえ、そんなの考えても仕方ない。俺は、飛行機ハイジャック映画、パニック映画、それを観るつもりで観ようと思った。
 そのつもりで観てどうだったか。なんとまあ、とにかくそれだった。それそのものだった。一本の木があって、その枝葉と芯と根っこをぶった切って、丸太をごろんと投げ出してきたような映画だった。その丸太だった。これは劇場のスクリーンで観たら、さらにさぞかしだったことだろう。そういう印象だった。
 ドキュメンタリっぽい造り。そうに違いない。乗客達のぶつ切りにされた日常会話。ハイジャック犯の断片的なやりとり。大義を主張するシーンなんてない。ただクルアーン(たぶん)を小声で唱えるだけ。乗客達の犯行にしたって、これ見よがしに「テロとの戦い」という演出はない。むしろ、パイロット二人が殺され、同時にハイジャックされた飛行機が自爆に使われたという事情。操縦桿の奪回は、生存への戦いにほかならない。これが、描かれ、ラストは定められている。
 ……と、まあ、その「これ」、いかにリアルであろうと、フィクションには違いない。そこで誤解を生ませようとしている、という批判もあるだろう。まあ、たしかにそれだけノンフィクション的な演出が徹底されてる。セガールもいないし、ヴァンダミング・アクションもない。
 それに、こういう映画にありがちな、テーマやストーリーも、ある意味投げている感もある。『ミュンヘン』などの方が、まだ感じられた。そのあたりは、9.11以前、以降、観る人のストーリーにつなげてくれ、というあたりだろうか。極限状態で繰り返される、家族への「愛している」という通話から何かを受け取るのもいいかもしれない。もちろん、この映画はフィクションだが、俺らが見聞きしている世界なども、どこまでが真実なのかは究極のところでわからない。
 というわけだかどうだか、観た後にネットいろいろ読んでいたら、この93便、米軍機に撃墜されたという陰謀論が根強い。そうだったっけ、そんな話もあったんだっけ? でも、たしかにあの晩(日本だからね)錯綜した情報の中には、そういう可能性や準備についてもあったとは思う。
 で、その陰謀論的な見方からすれば、この映画全体が政治意図に溢れた、とんでもない嘘っぱちのデマゴーグプロパガンダってことになってしまうのかもしらん。この映画、機内の他に描かれるのは、各空港の管制塔、そして軍の基地内(空港の方はすごい作り込みだと思ったら、当時現場にもいた本職が演じて、再現しているところもあるのだとか)。軍の方では現場が、撃墜オーケーの指示を求めるのに対して、上が決断しないという内容。それに何より、どこも現状が正しく把握できないという絶望的状況が描かれていた。なるほど、全米全土上空に飛び回る何千もの光の点を見るに、情報把握できんのも仕方ないかと思わせる。それが嘘だ、でっち上げだ、という意見もあるのだろう……が、(テロ全体が自作自演という陰謀論を除けば)パニックと錯綜は本当だったんじゃないかってのが正直なところだが。まあ、錯綜したゆえに撃墜したという見方もあるかもしれない。
 ……なんだ俺は、知らない間に自分の中の陰謀者と対話しているのか? 不毛だな。ともかく、何とも劇場で見るべきじゃないのかと思わせる一作。そして、どこに意図があったとしても、なんとも妙な存在になっている、そんな映画だった、ってところで。