引退はしたくないっす。
もう少し稼ぎたいっす。
というわけで、昨日のはあっという間に否定されてしまったのです。しかし、昨日の自分のメモは、逃げ道を残しておいて正解なのでした(id:goldhead:20071127#p2)。まあ、誰が読むわけでもないのだけれど、一応は事実についてある程度は真摯にならざるをえないのです。著名人やネット上で知られた人でなくとも、ブログのようなものを公開している以上、やはり人格というと変だけれども、一貫性、同一性、そういったものが求められるような気になるものです。自意識です、自意識過剰です。
とはいえ、たとえば私がこの件ですとか、あるいは祖母と孫二人殺人事件について、どこかの匿名掲示板に誤った決めつけを書き込んでいたとしても、匿名の私は匿名の私として撤回するすべがない。逆に、素知らぬ顔で「マスゴミが犯人って決めつけて報道してたな」とか書き込むことすらできる。
それが問題だとか、いいところだとか、分からないところですが、少なくともそういうものだ、という自覚は必要かと思います。そういったところから、重要な事実や新しい発想、必死の告発などが出ることもあるのはたしかですが、そういったバックボーンからは、信用度などで上限がある、そういうったことへの自覚です。そして、匿名より、ブログの一貫性、同一性が高いが、実名による告白にはかなわない。しかし、ある個人の突発的な告白や告発より、それなりに一貫性のある組織などが責任をもって出した情報に信頼性がある。
もちろん、マスコミも誤報や捏造やりますけれども、ソースとしての確からしさという点において、どういう比重があるかといいますと、やはり頼らざるを得ない。頼りながらも、やはり監視するような視線も必要ですし、ネットという新しいツールでそれを指摘したり、また、討論したりするというのが、共存共栄のようなものだと思います。マスメディア信ずべし、また信ずべからず。ネット信ずべし、また信ずべからず。いや、そうではないな、なんというか、反比例のグラフのような、まずそういった座標みたいなのがあり、その上で、諸々の材料から信頼度をつかむというか。そういう意味において、やはりソースたりうる確率が高い存在である(べき)ところの新聞社などのマスコミには存在価値があり続けるのでしょう(2ちゃんのひろゆきが言うように、論説社説はいらないから、とまで言えるかどうかはわかりません)。
そういうわけもあって、私は昨日もクオリティ・ペーパーである東スポを買いました。一面は、新垣結衣さんが三ヶ月休養するという内容でした。沢尻エリカさんのように、ストレスから切れてしまわないように、来年一月から沖縄の実家で過ごすという内容です。なるほど、それはいいことだ、と思ったものです。人気者なんだから、バカンスの権利くらいあって当然じゃない、と……が。
http://ameblo.jp/yui-aragaki/entry-10057498711.html
『新垣結衣、長期休養』と報じられていましたね。
あの、別にユイ休養しません。
超速攻で否定されてるがな。さすがはケンドー・カシンの裁判(だったっけ?)で、裁判官に「それは証拠になりません」と却下されただけあるで。しかしなんや、ユイちゃんは東スポ手にとって読んだんか? 岩谷テンホーのみこすり半劇場読んだんか? 玉門うらな……まあ、ええがな。東スポはその一貫性でええがな。ええのんか。