リアルが殺したネットを嘆くお前の同一性のある名前が俺のネットを殺したって言う俺に同一性のある名前があるという矛盾

 このあたりの「インターネット」の話題にまったく乗れない。おれはテキストサイト界隈というものをまったく知らないし、はてな村というものがあるならば、それが一番それらしかったであろうころも知らないからだ。そんなインターネットがどこにあったのか、まるで見当がつかない。
 (※以下、老害おじいちゃんの回顧、古参自慢。昔拾ったエロ画像とかも貼ってない)
 かといって、おれがそれらの後にネットを見始めたかというと、そうでもない。1995年ころには父のMac、父のアカウントでNiftyパソコン通信をのぞき見くらいはしていたはずだ。サニーブライアン皐月賞馬連で自分のパソコンを手に入れ、alt.binaries.pictures.eroticaなんたらを漁ってエロ画像を集めていたりもしたし、いろいろなところからエロ画像を集めていたりもした。また、一般的なエロ画像も集めていたし、ちょっと変わったエロ画像も集めていた。美しいものもあったし、きわめて変態的なものもあった。
 ……いや、まったくのエロ画像収集システムにすぎなかったわけだ。いや、しかし、転機が訪れた。神戸連続児童殺傷事件。「これの犯人の実名と顔写真がネットで見られるらしい」(……のちにノンフィクションライターの安藤健二が"「反動!」の安藤"だと知ったときは驚いた)ところから、いわゆる「アングラ」に脚を踏み入れたのだった。「Welcome to Underground」。しかし、あれ、産経新聞が「ネットに実名が」ってことで、確定してくれたんだったっけ。マスコミまでこんなところを見ている、という妙なざわめきはあったような気はする。
 まあいい、黒背景、回転する髑髏、炎のアニメーションgif。それまでは、エロ画像と企業サイトくらいしか存在していないと思ったネットに、ひどく暗い場所があった。ひたすらに自由で、攻撃的な言葉が飛び交ってる。割れ物も飛び交ってる(しかし、Mac使いとしては割れもツールも関係無かったし、分割されたエロ動画などまず見ることができなかった。まあ、結局尻よりなによりエロが一番重要なのだが)。
 もちろん、なんのネット知識もない自分は、多段串噛ませてビクビクしながら覗くだけだ。書き込んだらハッカーにやられるんじゃないかと思っていた。名前も、住所もさらされるんじゃないのか? ポンポンネット事件のように。しかし、it'a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉、そんな感じ。もっとも、そのころは大学ドロップアウトしていたし、リアルで言う相手などいなかったが。
 中二病的警戒心、だったか。しかし、それはずっと形を変えながら俺の中で生きていて、よくも悪くもネットと自分との距離感を形成した。よくも悪くも。
 しかしまあ、いつしか自分もネットにものを書き込むようになった。いわゆるアングラ私書箱だ。あやしい系は敷居が高かったし、あめぞうのスレッド式は見にくくて嫌いだった(2chがここまでになるなんて、誰が想像できて?)。できたばかりのこれならば、と。

 まあ、このあたりの話である。おれはBlackBox難民、ひょろびり難民、そして廃墟難民だ。むろん、書きこむにしても完全に匿名だ。いや、ROMってる割合のほうが圧倒的だっただろうか。この年表を見ると、どうもテキストサイト的なものはこのあたりであったらしいが、おれは一切知らない。私書箱か、エロか。これがネットのすべてであって(3:7くらいの割合だが)、ネットの人間というのは匿名であって、人間でなく犬かもしれず、ただ言葉だけが、ネタだけが飛び交うものであって、正直言って、実名どころか同一性のあるハンドル、というものにすら未だに軽い違和感がある。名前のある「俺」ってなんだよ、それ。
 ……と、おれが言えた義理ではない。まったく言えない。2ch隆盛(2chはほとんど見ていなかった)や荒らしによって壊滅した私書箱から、人のいる自アン系列に流れ、そこで署名らしきものに目覚めてしまった。その後、この日記をはじめたのが2004年くらいで、結局自アンにはここからの直リンクというたいへんな迷惑をかけてしまったので完全に身を引いて(この失敗で二度目の警戒心を身につけた)……、今は立派なはてな少佐になりました、と。
 飛ばしすぎだろうか。しかし、どうももう名前がついてからのおれはとくに変わっていないし、どうもなっていない。オフ会どころかネット上で親しくやりとりをするような相手もいないし、つくろうとも思わない。Twitterやってても、今までメンションを飛ばしたのは一回か二回だろう。いや、このあたりはどちらかというと、リアルな対人関係に関する問題だろうか。
 しかし、じゃあなんでおれは名前が欲しかったんだろう? 同一性をつくろうとしたんだろう? それはたぶん、自己顕示欲や功名心のようなものだろうし、一回きりの書き込みでは言い尽くせないこと、継続や反転、ひねり、なんだかわからないが、そういうふうに書きたかったんだろう。ログを残したかったんだろう。長文を書きたかったんだろう。このあたりは整理がつかない。
 いや、ごまかすな。やはり顕示欲、か。かといって、顕示したものがたまに注目されたところで、なにか満たされるどころか、警戒心のアラームが大きく鳴り響くだけだし、なんでこんなことやってんだろうという後悔ばかり出てくるし、見たくないものを網膜レベルで目に入らないようにする、というスルー力を発揮するだけなのだが。
 
 (どうでもいい話だが、この日記の「このたび自転車を買われ〜」以外のホットエントリはほとんど酩酊状態で書かれたものである。アルコールで警戒心が薄れると、アクセルをふかしすぎて、通行人にぶつけられるみたいだ。もしもあなたがブログで人に注目されたいなら、お酒を飲んで書きなさい。飲んだらパワーアップのコーナー、ダンプで歩行者天国に突っ込め! というか、シラフでぶち込める人間は脳内で四六時中なんらかの化学物質が出っぱなしなのだろうか? それとも警戒心が足りないんじゃないのか? 革命的警戒心が)
 
 そういうわけで、おれの中では、いまだに「ネットは実名であるべきか」という以前に、「同一性のあるIDを持つべきか」というところが済んでいない。三歩手前。そして、自分が、あんなに好きだった匿名でいられなかったことへの後悔がある。匿名でおもしろいことを書けなかった負い目がある。結局、最後に残った「おもしろくないやつ」でしかなかったことへの無力感がある。それなのにコテハンをつかういやらしさがある。
 が、しかし、おれはおれの匿名を殺してしまったが、匿名のインターネットは死んでいない。たとえば2chだ。そこにいくらか救われるところもある。アングラ私書箱目線で「2chは敵」というようなネタかベタかわからない自意識があって、決して書きこんだりはしないが、よく読むようになった。偏りやなにかもあるのは重々承知だが、機械が書いたような(実際にそうかもしれないが)クソみたいなライフハックブログに比べれば、ときどき信じられないくらい輝く言葉、鋭利な切り返し、血を吐くような言葉を抽出してくる2chまとめサイトはまったく素晴らしい。あるいは、ふたば(まったくよく知らない界隈。これをたとえばまとめサイト経由で知ることへのなにかしらのひっかかりはある)あたりからも、名前のないやつらがなにかしら完全におもしろいものを作ったりしているような気配がある。
 などと、なにかこう、同一性のあるIDからこんなことを書くことへの違和感、引け目。これがある。上から目線だろうか、上辺だけの賞賛だろうか。おれの所属していたコミュニティと呼べるかどうかわからないもの(本当の「ゆるいつながり」ってのあの程度のものだろう)はなくなってしまったし(最後の廃墟がなくなったのはつい先日だが)、自分の不義理でいられなくなってしまった。とはいえ、今からこれを捨てて、この同一性を捨てて、まったく匿名に戻ることもROMに戻ることもできるはずだ。それなのに、そうする気もおこらない。2chでなにかおもしろいことを書けたとしても、はてなブックマークならスターをもらえたのに、などと思ってしまうだろう。スターが1個10円だったらいいのに。いや、その下卑た自分が嫌だ。見返りなしで現れる言葉こそ、なにかこうかっこいいのだ。あるいは、名前のない人間たちによって自然と織りなされるやりとりの美しさ。
 それなのに、おれは、こうやって、どうにもならん、たとえば実名と紐付けしたところでマイナスにしかならないような言葉だけを重ね、それでも役に立たないIDに固執して、まったくなにをしているんだろうか? ネットでやることは、善村スコアラーなみの警戒、そしてスルー。こんな長文も、ほかの文脈に則ってみれば、リアルが殺したネットを嘆くお前の同一性のある名前が俺のネットを殺したって言う俺に同一性のある名前があるという矛盾、とか簡単にまとまるような話だ。一行でオーケー。それなのに、おれは、なにを?