昨日の過去

 少年らは知人から「おもしろいヤツがいる」と紹介され、事件約10日前に男子高校生を呼び出した。少年らは「(小島よしおの)ものまねをさせようぜ」と「オッパッピー」などをやらせた。このときは男子高校生のものまねを「まあまあイケルんちゃうか」と“評価”していたが、10月19日夜に再び呼び出した際には「似ていない。面白くない」と突然、ダメだし。男子高校生を大蔵海岸まで連れて行き、首を金属製のU字ロックでフェンスに固定し、殴る蹴るの暴行を加えた。さらにたばこの火を押しつけたり、熱いココアを頭からかけたり暴行はエスカレート。最後は裸にして海に沈め、暴行を加えた。集団リンチは約7時間に及んだ。

http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20080228-328422.html

 人を過度の暴力に駆り立てるものはなんだろう。一瞬の爆発でなく、長時間続けさせるものはなんだろう。個々人の持っている性格……血統的要因、育ってきた環境、現在の環境が組み合わさったものが、無縁であるとは思えない。しかし、また、集団というものがもたらす非人間性、これも大きそうだ。仲間意識、内向きの視線によるチキンレースのごとき止められなさ。過去にいくつもの不幸な例……宗教、思想、国家、反社会的集団……形は違えど、どこかで共通するところがあるはずだ。それでもなお集団リンチは繰り返されるのだろう。だからこそ、いったい何が人を暴力に駆り立てるのか、いろいろな角度から、いろいろに切り分けて、その人間精神と人間集団に巣くう病理について考えていく必要があると思う。おそらく、自らが裁く側、あるいは被害を受ける側に、常にいられるという安心はできない問題だからだ。無意識のうちに、「集団」に属して見えない暴力を振るっていないと誰が言えようか。
 しかし、小島よしおは何か悪いことをしたのか? 集団暴行を引き起こす原因が、彼の「おっぱっぴー」だったのか? 「おっぱっぴー」が少年たちに悪影響を与え、暴行事件を生じさせたといえるだろうか。これを精密に分析するには、人間科学、社会科学を総動員させて結論せねばならん。しかし、現段階でなんとなく思うに、「お笑いタレントに似ていないというのは暴行を加えるための口実」であって、やはり暴力を生じさせるのは何かではないということだ。小島よしおはすごく遠くにいる。ラスタラスタ言いながら。誰もいない部屋で。
 ……ほら、ここだ、ここだ! 俺は小島よしおに暴力を振るった。しかも、「やっぱり昨年末で寿命が終わった一発屋だよな……」という、世間の目に迎合した視点で。もちろん、先週末のガキの使いの山崎裁判で見たばかりで、この新ネタもまずいだろとか、そう思ったのは確かだけれど。だけれど、なんか死ぬと分かってて死ににいかせるような、そんな芸人の、芸の使い捨てでいいのか? 普通に「そんなの関係ねえだろ」と言いにくくなってまで、封殺しなきゃいけないのか? 日本社会は壓殺された芸人の層の上に成り立っているのか? もっと芸人を、芸を、温かい目で見守っていく必要があるんじゃないのか。いや、芸人を見守るなんていうのは芸人に対して失礼な態度だ、芸人の芸は、笑ってあげなければならない。なに? あげなければならない? それは何だ、上からの目線だ、同情だ、同情のまなざしを芸人が望むと言うのか? そんなはずはない、面白いことをする、それに笑う、だ。だから小島、なんか面白いことしろ、ラスタとマジコ族以外で。