想像してみよう、もしもゲーム脳が本当だったら

goldhead2008-03-25

「仮想の垣根」超越か 無差別殺傷の金川容疑者

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/132347/

 仮想の垣根を超えたらJR荒川沖駅に出るのだろうか……。俺を乗せて連れて行ってくれ常磐線、土浦、日立、大津港/勿来、夜ノ森、浜吉田。たとえ太子堂から振り返ってみても、ろくでもない金川がろくでもな事件を起こし、ろくでもない記事が書かれたという現実が見えるばかり。もっと行かなければいけないのか、仙台で東北本線に乗り換えて、もっと北へいかねばならんのか……、岩切、塩釜、梅ヶ沢/新田、石越、平泉……。
 いくら北上したところでしかたないので、俺が常日頃から密かに抱いている空想を述べよう。世間のゲーマーから袋だたきにあいそうな空想を述べよう。ゲーム脳が本当だったらどうなるんだろな」
 森昭雄がインチキだろうというのは、お前に言われんでもわかっとる。森はどうでもいい。きちんとした脳科学やなにかの専門家が、科学的に確かな方法でゲーム脳状態を示す。そして、いろいろの学者の再現実験や何かからもゲームの人間に対する悪影響がはっきりする。アルコールで人が酩酊するくらいはっきりする。また、社会学やら統計学からも、社会に対してよろしくないことがはっきりする。森のゲーム脳を科学的、論理的に批判していた学者たちも認める。
 ……さあ、そのときどうする。どういう態度を取れるだろうか。森のゲーム脳を科学の面、論理の面から否定していたゲームファンはどういう道を選ぶだろう。科学や論理のことなどわかりもしないのに、その尻馬に乗ってゲーム害悪論を馬鹿にしていた……俺は何を言うだろう? 森のゲーム脳理論の鏡のような、ゲーム擁護のためだけにでっち上げられた疑似科学に飛びつくだろうか。ゲームの害悪を認めた上で、人体や社会との折り合いをつけるべきラインを探り、提案したりするだろうか。それとも、反社会的ゲームテロ集団でも作って、一揆でも起こすだろうか。それで、鎌投げていい調子だったのに、うっかり竹槍を拾ってブスに絡まれたりした挙げ句、忍者に殺されるのだろうか。忍者に殺されたくない、ニンジャガイデン、ドラゴンソード。
 まあ、別にゲームでなくともなんでもいいのだ(たぶん、上に妄想したような確定番ゲーム脳もありえない……よな?)。ただ、ファミコンの誕生と共に育ってきた世代、膨大な時間をゲームへの没入に投じてきた俺(その時間を読書にでも振り向けていたら、俺はもうちょっと賢くなっていたかもしれない。しかし俺は、これっぽっちも後悔してないぜ)にとって、自分の趣味や嗜好がある日突然審議の青ランプがついて、それに異議申し立てするにせよしないにせよ、科学・道徳総動員で失格になる。そうなったときに、どんな態度が取れるだろうか、という空想だ。たとえこれこれが愚かなことが明白であっても、それが許されるべき愚行権だと、論理的に説明できるだろうか。あるいはその線引きを、自分と関係ないジャンルにおいてもダブルスタンダードになることなく有しうるだろうか。科学を武器にしていたのに、その矛先が自分の喉めがけて飛んできたとき、いったいどうするのだろうか。自分の趣味や嗜好を合理性で葬り去れるのだろうか。あるいは、人の後ろ指を一切合切無視するだけの強さがあるだろうか。俺がタスポを持ちながらタバコを吸うのを厭うのは、はたして金銭的な理由だけだと言えるのだろうか。そして、果たして俺最大の、俺最大の魂の拠り所である競馬が否定されたとき、俺はどうするだろう。そうされる前に何をすべきなのだろう。もし上帝が闘牛のついでに競馬まで同じ方法でやめさせようとしたら、どうしよう。あれ、カレルレン来てる? そりゃしょうがない、幼年期の終わりを受け入れよう(……SF脳の恐怖。しかし、オーバーロードな存在を想定するのは必ずしも無益とは思えない)。
 科学や統計、数字への理解、科学と人間、人間社会、法、人間の自由と権利、愚行の許されるライン、倫理、格率とはなんだろう。仏法とは無我にて候。あたしのような凡人にはわかりゃせん。できるだけ春眠尽きぬこと願って、布団からはみ出ない程度にぬくぬくと手足のばして生きて生きましょう、できるだけぬくぬくと、布団からはみ出ないように。