病気 重し 医師に頼め


<2012年の2大目標>
1.他人に危害を加えない。

2.自殺しない。ただし、前項の目的を達成する手段として自殺を排さない。

 以上。
 以下メモ。
 俺がいよいよキチガイ病院の門を叩いたのは、身体がスローモーションでしか動かないという冗談のような状態に陥ったからだった。強烈な希死念慮はあったが、身体が契機だ。心の中は物心ついたころからグチャグチャにぶっ壊れていて、安心や満足というものはなかった(と思い込んでいる)。俺は小学校のころに不登校に近いような長い休み(不登校の定義はよう知らん)をとったこともあったし、大学をドロップアウトしてひきこもりのニートになったこともあった。思えばそのいずれかの時点で、だったのだろう。いや、中学から環境が変わり、不登校はおさまったのだが(高校を出る頃にはまた一人の友人もいなくなっていたが)、とくに、大学がラストチャンスだったのかもしれない。それもわからないが。
 まあ、やはり成人して立派な社会的ひきこもりになったときか。それでも、なにか病院に行こうと思ったりしなかったのは、「俺くらいの人間ならどうとでもなるだろう」という、まったく根拠のない自信から来るものだった。
 それからいろいろあって、ニートなどしていられなくなって、底辺零細企業の底辺労働者になっていろいろの無理が積み重なってもう折れてしまったというところだろう。もう無理だ、もう勘弁してほしい、もう楽になりたい……。
 と、そのような心情はこの日記でもいくらでも吐露してきたし、まったくの本心だった。ただ、それでもなにか病院に行かなかったというのは、俺自身がそれを言語化できるところが怪しいと思っていたからだった。つまりは、病院でなにか診断を受けるというのは、サボって、楽になれる口実を求めていることに過ぎず、ようするにメンヘラワナビー、自称○○、詐病じゃないかという思いである。もし病院行って、「おまえ全然健康。サボりたいだけだろ、単なる怠け者」と指摘されてしまっては、もはや立つ瀬がないという恐怖感、これである。腹が痛いので救急車を呼んでみたらあんがい大したことなくて、「救急車は本当に必要な人のためのものです」冊子の悪い実例に載ってしまうのではないか、みたいな恐れ、これである。
 つまりはなんというか、物心ついたころからの人見知り、人間嫌い、努力嫌い、コミュニケーションに対する過度な恐怖について、「そんなのみんなそうだよ、単なる性格だよ」という可能性。そしてまた、「高校卒業まではできたわけだし、ほとんどがモニタ相手とはいえもう10年も働いてて、友人は本当に一人もいないけど、えらく年上の女とつきあっていて、まったく軽症だよ」と、そうみなされたらどうしよう、というような。というか、俺自身がやはり、軽症のくせに休みたい、サボりたい、楽したいだけでなんか死にたいと口にしているだけというような、そうじゃないかという疑念がちらついているという。それを客観視している自分がいて、それが自意識を保てている間は、そいつがこうやって日記なんか書いている間は、病院に行く資格なんてものはないんじゃないか、という思いだ。香港経由で買ったタイ製のプロザックのゾロでも飲んでしのげる程度(のふりで誤魔化すふりをできる程度)のもんじゃないかという思いだ。
 なんというか、メンヘル系の病院を避ける一般的な「自分がそんな病気であるはずがない」というような発想とは逆の、「自分がそんな病気であってほしい」というところについて自分で勘づいてしまっているあたりのなにか。結局のところ、お前は恵まれている人間だから、相応の努力しろ、ライフハック読めというあたりに落ち着くんじゃないかと……。
 ……まあ、結局のところ、そのていどのことであるような可能性は高そうな感じだが。はじめは強迫性障害とうつの併発、抗うつ剤精神安定剤で若干落ち着いたのを見て、年末のゴタゴタが終わったら本格的に、というところの三回目の通院で、「調子どうですか?」 、「ピルカッター買ったけど、悪い感じのときが多くていらんかったです」かいうやりとりついでに、やはりこの日記でぶちまけているような思い込みを話したところ(「いや、宅間守っていたじゃないですか。ひどく自分の状態がまずいときにあれがあって、ひどく共感があって、秋葉原の事件にしても、なんにしても、どうも加害者側に立ってものを見てしまうんです。それで、心の状態が悪くなると、わーっとその思いが大きくなってくるわけです。なんか街を歩いていても、すれ違う一人ひとりに殴りかかったらどうなるかとか、そんなことばかり考えてしまいます」)、それはパーソナリティ障害、障害というか、パーソナリティ・ディスオーダーである可能性がある。また、ADHDのような発達障害のような可能性もある、などと言われたわけで。あんまり直截的には言わないものだが、池田小やったらかばい切れないし、病院の領域じゃないし、あんたは言っても平気そうだから言うが、的な。「で、知ってる? 発達障害」、「いや、あんまりは」。
 いや、あんまりは。でも、なんかある日、ある日って、本当にここ一年の間くらいだったか、なにかちょっとそういったものを読んだりして、ネット上のチェックみてえなのをしたりとか、そういうのはあった。でも、さんざん述べてきたようにワナビーじゃん、バーナム効果じゃん。当てになるのかよ。それで、医者でそんなことを言われた上で見てみたら、どこまで強烈なバイアスかかってんだよ、というお話。

 たとえばこのいろいろ並んでるADHDについての「ハロウェル&レイティーの基準」のAとか、ほとんどの項目にもろズッポリはまってるようにしか思えない。バーナム効果でない証拠を日記から拾い出すとかいう作業をすればいくらかなにかかもしらんが、面倒なのでやらんし、だいたい医師にかかっているのだから、医師に診てもらえばいい。そのためにお金も払っている。素人診断の予断なんてものは害悪でしかない。
 ……とはいえ、時間もあるし、なんか調べたくなんじゃん。インターネットもあるじゃん。あと、ブックオフで本も買ったりできんじゃん。人格障害についてはこんなんブックオフで目に入って。

 パラパラっとめくってみて、いろんな症例やら説やらわかりやすく並んでて、初心者におすすめじゃねえかって。巻末の著者経歴見たら、ちゃんとした先生っぽいし。で、一応読む前に著者をググってみたら、学会から「ゲーム脳」級のトンデモだかインチキだか扱いされてる人らしく、まったくなにを信じていいのかこの世はわからない。いろいろの分野の科学について言えることだが、そういったものはまっとうな科学者が一般向けの書店という書店の本棚から万引きするなどして、責任をもって目の届かないところにしまっておいてもらいたい。
 とはいえ、チェック項目引用部分は例のあれからだし、とりあえず読んでみて、ところどころなにかゲーム脳的な、社会のメディアが若者にどうこう論は散見されたけど(もちろん、それが誤っているという知見もデータもなにもかも俺は持ち合わせていないのだが)、見ないふりしたりして、まあこんなもんかというような。というか、今の俺に他人をどうこう言える資格もないんだけれども、自分の父親があまりにも自己愛性人格障害の教科書みたいな人間だと思ったが一番の感想だったりするのだけれども。そういう傾向があるとかいうレベルじゃなく、完全に社会生活送れなくなっちゃってるし。

 それで、俺となると、これなんかアホみたいに当てはまりすぎているわけで。いや、障害と診断されるレベルにあるかどうか知らんよ。でもね。
 ……ってさ、こんなん、なんか新しい驚きでもなんでもねえし、病気願望(?)の一方で、こんなんだろうという予感もあったわけだし(いや、過去形にしてはいけないが)。まあ、「そのダイエットは強迫性障害、拒食症、希死念慮の表れ!」って喝破されたのは衝撃だったけど、人格障害発達障害という可能性については、さもありなん感がある。
 で、なんというか、せいぜいウィキペディア2ch読みましたレベルの話だが、これらってそう診断されたところで、なにか福祉の援助があるわけでもねえし、スパッと治る薬がわるわけでもねえし、正直、そうであると認められたところで、なんかこう、なにかがよく転がっていく感じというのはしない。せいぜい、対処療法的に眠りを深くして身体をいくらか休めるようにして、また、脳内のセロトニン濃度をどうにかして最低限動ける状態を維持できたらいいなくらいのものだろう。いつ破綻するのかわからない恐怖をないことにして生活しているふりをしつづけるしかないのだろう。いや、いろいろの療法などもあるのだろうが、いずれにせよ長い時間がかかるだろうし、効果があるかなんてわかったものではない。そもそもそういう療法に辿りつけるかもわからない。
 一方で、なんというか、客観的に見て自分をとりまく仕事、生活、家族のすべてというものはぐちゃぐちゃのクソ状態だし、とくに仕事についてはいつ職を失ってもおかしくはない。時間がない。そして俺はもう労働とかうんざりしていて、俺より優秀で技能もあってコミュニケーション能力ややる気もあって脳内のセロトニン濃度も普通でなんとか障害でもなく、睡眠時無呼吸症候群でもなく、機能不全家庭育ちでもないような人間が職につくのに四苦八苦してるのに、それに打ち勝ってどっかの席に座るなんてのは到底不可能に思える。
 さて、そのときのことである。もはや頼れる家族、親族(アホみたいに病気や不幸続き。おそらくうちの父系は俺と弟の代で途切れるし、母方のほうもサイアーラインから姿を消す)などなく、俺程度で福祉などというものに頼れるわけでもなく、さて行き先はホームレスか刑務所かあの世しかない。そしてどうも、俺はホームレスは苦手そうなので、二択問題。自身の希死念慮のことなど考えると、なるほど死刑目的の犯罪というのは合理的なのだが、さてしかし。そう、さてしかし。

 これは強迫障害的精神の中で書かれた文章の例になるのだろうが、結論としてはやはりどうも、死ぬしかないように思える。
 ただ、成田山横浜別院のおみくじは「医師に頼め」という。なので、冒頭の項目2、自殺を前提とはしない。宅間守人格に身体を乗っ取られるまえに自爆スイッチを押すミッション。この中二病テイストのミッション、これを頭の中にぶち込んでおく。その上で医師に頼む。ひょっとしたら、最低限の労働に就けるレベルにまで改修される可能性がないわけではない。ようは残り時間とタイミング。「休めませんか」、「無理ですね」、「ですよねー」という零細企業ー!に休職の余裕はない。日に日に蓄積される絶望と憎悪と泥のような疲労、これを、アルコールを完全に断って睡眠薬に代えて、ああ、しかしやはり地獄だな。ただ、もう俺は最後の手段である精神医療のスイッチを押してしまったのだし、これでダメならそれまでなのだし。
 ……というか、だいたい俺の悩みというのは、はっきりいって金の心配だけといってよく、それは医師に頼める話ではないわけなんだよな。年末ジャンボ一発当たってれば、本当にもうすべての不安から解放されて、本当に楽になる。これって脳だか心だかの病気の話なんだろうかね。金の問題。欠陥人間の俺が自分を食わせることができるかどうかという話。どこかに職があるかという話。その職は俺を殺さないかという話。どこかに大勢の人間から金を奪って殺しているやつがいるとしたら、なんかどうせ死ぬならそいつ殺したほうがよくないか? 見せしめに吊るしてしまえって、いや、俺が経済どころか算数に弱くてよかった、とりあえず敵がわからん。ただなんだろう、さっきから、1月1日に死んだ、白くて小さな犬の姿が、脳裏を走りつづけている。走りつづけているんだ。