流れよ我が涙、とコリンズは言った

コリンズ監督辞任、選手と合わず孤立も…

 随所で導入したメジャー方式もことごとく裏目に出た。投手には試合だけでなく練習でも100球の球数制限。野手にも「試合で100%力を発揮するように疲れてはいけない」と居残り練習を禁止。選手からは露骨な怒りや戸惑いの声が噴出し、最後まで波長は合わなかった。「選手がどうすれば理解してくれるのか」。深めていった孤立感と成績不振が職場放棄とも受け取れる辞任劇となった。

http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20080522-362950.html

 オリックステリー・コリンズ監督の電撃辞任。スポーツ紙やニュース程度を通じて受ける印象も、あまりうまくいってなさそう、というものだっただけに、驚く一方で納得もできる。コリンズ監督の日本野球に対する理解や適応にも問題があったろうし、選手側にメジャー流を受け入れる意識が足りなかったのかもしれないし、その橋渡しになるべきコーチがいなかったのかもしれないし、全体を統括するフロントに配慮の足りないところがあったのかもしれない。
 ……などと、他球団のことを論っている余裕があるのかカープファンの俺に。少し長くなるが、中国新聞より引用する。

 選手起用の意図をベンチ内でどれだけ共有できているのか、疑問が残って仕方がない。打撃好調な打者が相手投手の右左で外れ、不調の選手は好機で凡打を繰り返す。さらに最大の局面で未知数の投手が初登板し、痛打を浴びて負ける。こんな野球でチームの士気は高まらない。
 同点の七回一死一、二塁でシュルツを起用したことで猛烈な疑問が芽生えた。一体いつ、何を根拠に、シュルツは中継ぎ陣の中で優先順位が一番になったのか。これに答えられるのはブラウン監督だけということが、最大の欠点なのである。
 打った、打たれたといった結果論は問題の始まりではない。チーム内で起用の意思統一が乏しくなっていることに、不安をかき立てられる。終わってみれば大敗になった展開で、休養十分の中継ぎ陣が投げない状況は正常だろうか。試合後の苦々しい選手らの表情を見ると不安が尽きない。
 今季、ブラウン監督は自ら勝負の3年目に位置付けた。進退をかけた以上、采配(さいはい)はやりたいようにやるのだろうが、それが独断だけになってきたのが残念でならない。若い選手の力を引き出し、戦力を底上げしていた指揮官の姿が今はなくなっている。

http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cs200805210443.html

 はじめに言っておくが、俺はアンチブラウンからはほど遠く、「四番とエースが同時に抜けたチームでよくやってんじゃねえの?」派である。たとえば、エース格と目されながら五つ借金を作ってる大竹寛、もちろん攻撃の采配で見殺しにしたこともあるかもしれないが、やっぱりその辺は選手の方の問題かと。ただ、直接試合を観ていないながら言うけれども、いくらかの観戦や、ファンの感想、新聞記事から、理解に苦しむ采配が出現するということは否定できないことのように思われる。だから、「もっとよくやれるんじゃねえの? 惜しくない?」とは思うのである。
 しかしなにより、中国新聞までがチーム内の士気に触れていることが気になる。辛口の東スポがさんざん突いてきたことではあるし、俺も目をつぶろうとは思ってきたことなのだが……。もしもブラウンの妙な采配がデータに基づくものであれば、それを共有することが大切だろうし、データで結果が出るならば選手だってやる気を損なうまい。ただ、納得できないような結果しか出せず、それゆえに説明しがたいのであれば、ちょっとどうにかせにゃならんだろう。まあ、何より勝利が一番の薬というところなのは言うまでもないが、鶏が先か卵が先か。
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 ところで、話をオリックスに戻すけれども、少し嬉しいといってはなんだけれども、大石大二郎が監督代行として指揮をとることだ。大石といえば、子どものころの憧れの選手。他に正田耕三。一番の理由はって言えば、体が小さいのに、あんなにすげえ選手だったってことだ。チビの憧れだったわけだ。“大石第二朗”って登録名だけは勘弁してくれって思ってたけど、今は二こ大に戻って一安心。ルーツのあとの古葉の例もある、小さな大監督の誕生を期待したい。