福田康夫と人間のはじまりの不幸について

「私は自分自身は客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」――福田康夫首相が9月1日夜に辞任を表明した記者会見の最後に述べたこんな言葉がネットで話題になっている。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0809/02/news056.html

 福田首相のことをその容姿からチンパンジー呼ばわりする口のわるい人もいるようだけれども、それは一面で正しく*1、一面で間違っているのだと思う。なぜならば「私は自分自身は客観的に見ることができる」「あなたとは違う」というのは、今現在から見ればヒト、そのときはまだ名前もないある生き物であったものが、はじめて人間になったときに発せられた言葉だと思うからだ。いや、それも正確ではないのだろう、その言葉を発することによって、僕は動物が人間になってしまったのだと思う。
 神やなにかを想像することができたから人間は動物とちがうようになってしまったのか。そうではないのだと僕は思う。僕は、人間が自らを発見してしまったことで人間になってしまったのだと思う。神話があれば、その中で客観的に人間を位置づけてしまったとき、もはや人間は植物のように、動物のように生きることができなくなってしまった。その瞬間にすべての人間の栄光がはじまり、すべての人間の不幸がはじまったのだと思う。そして、そのときから人間は死ぬようになった。それまでのそれに死はなかった。
 だから、福田首相が見せた一種の人間くさい面というのは、真の意味での人間性を発露したものであって、人間の歴史の栄光と汚辱のすべての始発点、その点の神話を再現してみせたものにすぎないのだ。「私は自分自身を客観的に見られる」、「あなたと違うんです」。だけれども、ただ僕たちはそんなことお前に言われんでもわかっている。僕たちが「ここはどこ」で「わたしはだれ」かを知った気になっているせいで、僕たちは個々それぞれ死につづけなければいけないことを、わかっているのだ。

*1:チンパンジーが進化してヒトになったわけではないけれど。