閉店後のジャズ喫茶やマルタ島で、サンドイッチを作ったり、双子の女の子と寝たりする小説を書いていたら、急に授賞してやるからエルサレムに来いと言われる。虐殺行為によってまさに世界中の非難を浴びている、その渦中にのこのこ出向いて、授賞式で何かしてみようと思い、ろくでもない失敗をしでかす。親アラブの人間からも親イスラエルの人間からも嫌われ、おおぜいのファンから見放され、気づいてみたら、むき出しビーバーが表紙を飾る本に、サンドイッチを作ったり、双子の女の子と寝たりする小説を書いている。山から日本兵が降りてきて、ノモンハンの話をはじめる。やれやれ。
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というわけで、俺は村上春樹が「なんか俺、カート・ヴォネガットの小説の登場人物みてえじゃねえの?」とか思ってたらいいなと思う。俺はアメリカ陸軍の黒人兵士がカート・ヴォネガットを読んでいるかどうか知らないが、村上春樹は間違いなく読んでいると知っている。それゆえに、エルサレム賞とやらの受賞でなにかしてほしいと思う。どうせなら、なにかしでかしてくれよと思う。直球の抗議でもいいし、スローカーブでもいい。すっぽ抜けてデッドボール、即刻退場になったってかまわない。なにか「いたずらの問題」をしかけてほしいと思う。俺は、そんな風に期待する。なんにもしないというのは高度すぎるボケなので、避けてほしいと思う。世界はもっと単純なメッセージあるいはユーモアを求めている。俺はそう思う。
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などといきなり何の話かと言えば、このあたりの話である。
はじめ、上の方の主張を読んで、なにか釈然としないようなところが残った。下の方の主張を読み、実に共感した。
が、こちらを読んだところで、どうも考え方としてはこちらが妥当という気になった。俺は正直いって村上春樹作品のファンであって、あまり村上春樹そのものがどういう人かというところまでは知らない(というか、あんまり公にしていない?)のだけれども、村上春樹が叩かれれば、とりあえずあまりいい気はしないだろう。小説に対する批判についても、とりあえずはよい感情は抱けない(感情を抱く以上の文学的論議? 文学批評? なんてものも知らないのだけれど)だろうし、村上春樹その人が叩かれるのも、とりあえずはいい気がしない、だろう。
だけれども、この時期に、イスラエルに行ってエルサレム賞を貰う。それを政治的に見るな、ということは無理がある。いや、なにごとも政治的に見られることを拒絶できない。はてなブックマークのように、レッテルは貼られる(もちろん、その「政治的」が正しい保証はない。あるいは、その対象を政治的な、ある一点からのみ断罪することそもそもの是非はあるやもしれんが……)。
たとえば、もしも受賞をあっさりと拒否したとして、それに対して「授賞式に出向いて反戦アッピールしないのは、イスラエルによるガザ虐殺に加担することである!」という声があったら、俺はそれについて納得はできない。度合いというものがある、そう思う。
しかし、わざわざこのご時世のエルサレムだ。もう、そこに政治的存在としてコミットメントしてしまっている。なおかつ、受賞を受諾したということは、勝手にイスラエルがブクマしたわけではなく、トラックバックを受けつけた、いや、相互リンクを……って、なんでウェブにたとえようとするのか。よくわからない。まあいい、ともかく、とりあえずこの段階で、村上春樹はイスラエルに乗った、と見られるのはいたしかたない。村上春樹その人が(作品でなく)、イスラエルに対する態度をここで試されるというのは、当たり前のことだ。その背景には、村上春樹の作品の背景は問われず、ただノーベル賞(国際G1)にゲートインできるくらいの著名な作家であるという、その属性のみがある(エルサレム賞はG1? G2? ローカル重賞?)。それは、作品のファンも受け入れねばならないし、それは作品の評価とは別のところの問題だ。
で、強烈な政治的観点を持ち出せば「イスラエルから連絡を受けた時点で、全身の穴という穴から憤怒と羞恥の血を流して、自らの舌に釘打ちながら『お前らに評価されるのは、俺を虐殺者にすることだ! 断固拒否する!』と態度で示さなければ、それは親イスラエル的態度であり、虐殺に加担する者である」と言うことだって可能だろう。もちろん、そんな見方をしている人がいるかは知らないし、あったとして俺は支持しない。しかし、受賞受諾(だよね?)の段階で、「スピーチに注目が集まるし、内容によっては親イスラエルのレッテルが貼られるぞ」という意見には、俺は妥当性があると思う。俺は、村上春樹へのひいき目の上で、さらに国際的小説家村上春樹に期待されるもの、について否定できない。
それでもって、俺はその上で、村上春樹には、エルサレムで一発かましてほしいと思う。しかも、村上春樹小説世界的なやり方でやってくれればいいと思う。村上春樹の小説世界につながる別の小説世界のようなやり方でやってほしいと思う。ジョン・アーヴィングみてえに、ルイスヴィル・スラッガーのバット振り回してくれたっていい。大失敗だ。でも、俺はそんなのが見てみたい。大失敗してくれてもいいんだ。なにかやってほしいんだ。もしも失敗したら、サリンジャーみてえにライ麦畑にひっこんで、子どもたちをキャッチするお仕事したっていいんだ。政治的な観点からしか見ていなかったやつに、その文学的実行性でアッと言わせてやれ。作品と小説家像を守るために、「あえて何もしないだろう。しかし、それこそが文学的メッセージだ」などと逃げを打ちたくなるやつ(たとえば俺だ、俺)を、いい意味で裏切ってくれ。全部裏切ってしまえ。それこそが、世界の火中、リアルの現場にコミットメントする、小説家としての意気地ってもんだ! さあ! 行け、ぶった切れ。春樹、お前ならできる春樹、春樹やれ、春樹、キュウリのように冷たい! 爆弾は実在する、闘え、春樹、守って、何を? 世界を! ピース。
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