ザ・システム

Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System.

http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html

少し考えてみてください。僕たちはそれぞれ、いまここに実態のある魂を持っています。システムはそれを持っていません。僕たちはシステムが僕たちを司ることを許してはなりません。僕たちはシステムがひとり歩きすることを許してはなりません。システムが僕たちを作ったわけではない。僕たちがシステムを作ったのです。

http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090218/1234913290

 ここの部分のザ・システムのくだり、どっかでなんか読んだなにかだと思って、ここしばらくもやもやしていた。何の小説だったか。それとも、評論の本だったか、『ヴァリス』の秘密教典書だったか……と、ふとポーンと思い浮かんだ。新約聖書じゃねえの、って。でも、どこの箇所か探すのに難儀した

マルコによる福音書3
安息日に麦の穂を摘む>
2:23 ある安息日(あんそくび)に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。
2:24 ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。
2:25 イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。
2:26 アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」
2:27 そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。
2:28 だから、人の子は安息日の主(しゅ)でもある。」

 「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」たぶんこの箇所だ。この箇所の「安息日」を、勝手に脳内で「律法」か「法」のように思い込んでいたんだ。それで、「システムが僕たちを作ったわけではない。僕たちがシステムを作ったのです」のところが呼んだんだ。まあ、このような言い回しはいくらでもあるだろう(マリリン・マンソンは「俺がドラッグを好きなわけじゃない、ドラッグが俺を好きなんだ」とか言ってた)けれど、俺の脳内ではそこで重なったんだ。
 で、脳の外で、これとそれを重ね合わせることができるのかどうか。俺にはよくわからない。村上春樹にその意図があったのかどうかもわからない。というか、たぶん違う。おそらく、村上の言う「僕たちが作ったシステム」と、律法では根っこから違うというか、全く違う、ぜんぜん違うよ、少なくとも律法を定めた主は僕たちではないよ、という気がする。
 で、こんなところ考えていっても、俺には手も足も出しにくい信仰と思想、人類の歴史が広がっているばかりであって、この件はこれでおしまい。まず、『聖なる侵入』でも読み直して勉強するか……(まちがってるような気がする)。
聖なる侵入 (創元推理文庫)