WBC2009〜現代の侍ども〜

WBCの監督就任会見。集まったメディアを前に、原辰徳日本代表監督は言い放った。
 「野球道には、武士道に通ずるものがあると思います」
 それこそが、日本代表を「サムライ・ジャパン」と命名した理由でもあった。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090323/140618/

 ……いや、別にそういう話をしようってんじゃないんだ。ちょっと「サムライジャパン」で検索して出てきた文章をひきたかっただけなんだ。なに、いきなり人様の文章をひいておいてそれは失礼か。いや、それはそれ、たしかに野球道は武士道その他、日本人の好きな「道」に通じる部分があると思うよ。そのあとに続く組織論とかはようわからんので各自判断されたい。
 まあ、なんちゅうか、あのサムライがバット持ったシルエット、あれ見ていて、違和感ねえな、と。「侍」なんてなんかありきたりかもしれねえけど、やっぱりしっくりくるな、と。要するに、時代が時代なら、あの日本代表の面々が、名だたる侍としてさ、その時代を代表していたようなところあるんじゃねえの、と。
 あー、侍といっても、武家というか、血筋とか、そういう方じゃねえんだ。刀一本だか二本だか、いや、槍でも弓でも鎖鎌でもいいけれども、ともかく武人として名が轟くというか。剣士とか、武人とかか? 宮本武蔵でも大石進でも平手酒造でもいいよ、そういう感じというか。で、場合によっては、戦場で出世して、大将になったり、大名になったり、そういうさ。
 つうとなんだ、たとえばあの面々が新選組だったら、みてえな、そういう想像とか。ほら、あの面々が時代劇の格好して、日本刀でも持たせてみたら、なんかもうしっくりくる。こう、どんな使い手か、みたいな想像もできる。小笠原とかすごい強そう。川崎宗則なんかは天才肌だな。沖田総司みてえなところだ。城島健司とか栗原健太は豪快なタイプ。ひょっとしたら、槍とか使うかもしれない。岩村明憲なんかは切り込み隊長風だし、内川聖一なんかはくせ者のやり手というイメージ。イチローなんてのは、不世出の達人かもしれない。大河ドラマになるくらい。
 ……って、そういう話をしようってんじゃないんだ。ええと、だから、簡潔に言えば、なんというか、スポーツ、ゲーム、たかがと言えばそれまでだ。それに優れているからといって、普通に働く人の何十倍、何千倍、何万倍の収入をえるってのは、いったいどういうことなのか、と。実は、自分も大いにスポーツ観戦好きで、アスリートに対するリスペクトたるやそりゃあ尊敬していますよってところなんだけれども、「なんでそこまで巨額に」というところに疑問がないわけではない。まあ、収入というのは一つの物差しだけれども、一国の名誉がかかったりとか、そういう面でもでかい。でかすぎる。
 そこで、なんというのか、別に巨大スポーツビジネス市場とか、あるいは「オリンピックは代理戦争」みてえな見方とかいろいろあると思う。それもあるだろう。ただ、なんというのかね、なんだろう、それが時代であれば、救国の英雄だったりするような、あるいは、民衆の指導者だとか、そういうスペシャルな人間、破格の人間、そういった人間は、なんとなくしかるべき待遇になっていくべきだというか、人間のすごく原始的なところから、そういう流れになっていって、そういうところに収まっているんじゃねえかとか、そんな妄想をしてしまうんだ。そうじゃなきゃ、どうも、この、ともすれば合理化、能率化の世界にあって、スポーツ競技のようなね、そういったものが、どうもエンターテインメント市場とか、スポーツ・マーケットとか、それだけでは済まないような、あまりにもでかい理由、その説明がつかねえんじゃねえかとか、思ってしまうのだ。
 というわけで、人々の意識を集め、あるいは富と名声を集めるあの世界は、そのままに、われわれが歴史上の英雄だとか、神話の神々を見るような、そのような意識でいいんじゃないかという気もするわけだ。神話だぜ神話。これを見ないのはもったいないわけだ。見ないのはどうかしている。おかしいじゃないか、なんでここにテレビねえんだ。TBS見せろ、ラジオじゃ不十分だ、うわー、ぎゃーぎゃー。