週刊Gallopのダービー特集号を買って読んだ

 もう、気持ち悪い開き方になってから、ほとんど買っていないギャロップだけれども、さすがにダービー週は買った。買って読んだ。おお、なんか読ませるじゃねえの? と思った。見比べてないからわかんねーけど、文章が増えてるんじゃねえのって。それで、ダービーにまつわる過去の話がたくさん載ってて、なんかいいじゃねえのって思ったりした。河内洋が「ダービージョッキーと呼ばれたいから、少し長く騎手を続けたくなった」なんて言ってたの、はじめて知ったぜ。
 で、なんか別にたまにしか買わないような競馬ファンがえらそうなこと言うけど、競馬マスコミの強みってのは、そのあたりじゃねえのかって。競馬週刊誌なんかは特にだけれども、速報性では他媒体にかなわんし、データやなにかも、ネット経由でかなりのデータベースに直にアクセスできちゃう。予想だって、批評、感想だって、膨大な量をネットで手に入れられる。
 そんでさ、もちろん、そこで質の差を出すってのは一つのあれだけれども、それはそれで、なんというか、まあ、そうなんだけれども、それ以外の部分で、大きな武器、巨大な武器があって、それが、一次情報に当たれること、当たったものを蓄積しているということ。
 だってさ、「騎手のこんなこと言ってた」って、それを知るのは、ちょっと普通のファンには無理だもん(ブログで公開してる騎手もいるけど)。なんつーか、生のエピソードっつーか、騎手ばかりじゃねえな、馬の話だっていいよ。エピソード、物語、話。だから、速報性、データ、そんなものは、もういいんだ。競馬メディアは、競馬についての物語を語るんだ。いや、実際にそうなっているのかもしれないが、それがいいなって。
 というわけで、今回のダービー特集を読んで、そんな気になった。それこそ、五年前、十年前のレース結果とか、そんなのはいいんだ、検索すりゃ出てくる。ただ、そのときの発言とか、エピソード、そういうの。そこんところ読ませてくれ、たくさん、ひょっとしたら、単なる俺の懐古趣味かもしれないが、それでも、まあ、一読者として、そんなことを感じたんだ。
 で、日本ダービーについて。ギャロップではアンライバルドをどーんと特集して、続いて「三強(だった?)」リーチザクラウンロジユニヴァース多めで、という感じ。なんとなく、アンバランスさがないわけでもない。おそらく、制作する側も、「前走二桁負けの二頭大きめでいいのか?」という疑問はあったはず。でも、こんな感じになった。このあたり、なんとなく、アンライバルド以外は何が来てもおかしくねーような気もするし、そもそもアンライバルドオークスブエナビスタ的本命にしていいのかどうかから、ちょっと考えてみようっと。