愚か者のはずれ投票〜第45回衆院議員選挙〜

 自分の投票を晒すなんてのはなんとも恥ずかしいところがあって、なんで恥ずかしいかというところに、またいろいろの問題を含んでるとは思うが、それはともかく、たとえば一番親しいような人に言うにしても、やはり口ごもるところはある。何の馬券を買ったか、というのは比較的晒せるが、いくら買ったか、を晒すのが恥ずかしい、そのあたりの強さに近い。質は違うと思う。
 でも、やっぱり何の馬券を買ったか晒さないで、なにか選挙のことをごちゃごちゃ言うのもなんなので、とりあえず一サンプル、政治の知識に欠けたひとりの三十代の、優雅で感傷的、感情的、気分次第の投票行動をここに提示する。

選挙前

 正直言って、悩んでいた。悩むというか、決めかねるというところだ。まず、ひとつ決まっていることはあって、公明党幸福実現党、そして自民党には入れない、ということだ。
 正直言って、自民党はそんなに嫌いじゃない。というか、選挙権を得てからしばらくは、ずっと自民に入れていたと思う。「なんだかんだいってたいした国じゃないか、この日本は」というところがあって、自民党が戦後のうちの長いことのうのうとやって、のうのうとこうなってんなら、みたいなところがあった。俺は保守だった。そうだ、まだそのころは実家もあり、将来に対する悲観も少なかった。悪くなかったんだ、いろいろ。そのあと没落して、だいたい共産党とか、地域政党に入れたりするようになった。それ以外の、もっとハードコアな政治思想などに出会っていたら、どうなっていたかはわからない。

「家の破産と中流階級からの没落、社会からのドロップアウトで君は最低最小限の共同体を幼いうちに失ってしまった。つまりその報復だろう? 本音は社会、この大きな共同体を破壊したいんだろう?」
見沢知廉『調律の帝国』

 それはそうと、自民に対するアレルギーのようなものは、ほか二つに比べればないわけだ。ないのだけれど、今回はとくにもう、冗談じゃないが入れたくないという気持ち、感情が強かった。麻生太郎政見放送で喋ってるだけで、それが自民党に対するネガティブ・キャンペーンのように思えた。あと、そうだ、へんな怪文書のような民主党へのネガキャン、これもひどいと思った。はじめは、ネット向けにPDFだけ公開してるのかと思ってたら、刷って配布してるっていうので、さらに驚いた。ここまで落ちたか、と思った。まるで「野党」みたいじゃないか。ここでいう野党は括弧付きの野党だ。もしも下野しても、こんなんじゃ「野党」的なことはできても、仕事なんかできないんじゃないか、と思った。懲罰感情というのに近いところがある。大物が落ちて吠え面さらすの見てみたい。まずは、この反自民、非自民を目標に馬券を組み立てるか……。

横浜市長

 投票順に書く。林文子(民国)vs中西健治(自公)vs岡田政彦(共産)。中西さんは「実質」自公だったか、まあどうでもいい。いずれにせよ、人物的にひかれるというか、そういうところはない。心情的には、「45歳働き盛り」を標榜して、林さんの年齢を批判する中西さんに無視された43歳の岡田さんを応援したいとも思った。が、どうも事前の調査では、林vs中西が競り合っているらしい。中西側から変な怪文書みたいな気持ち悪いチラシとか入っていて、そういうのも嫌いだ。そりゃまあ、林さん側もやってるか知らんが、ともかく自分の目には入ったということだ。もしも、岡田さんに入れて、中西さんに勝たれたら胸くそが悪い。そう思った。ここは、岡田さんには陰ながらの応援ということにして、なんとなく忌々しい思いをしながらも、「林文子」と書いた。

→結果______________________

「当選確実」の報を受けた林氏は、日付の変わった31日の午前1時55分に横浜市中区の事務所に現れた。出迎えた支援者たちに深々と頭を下げ、割れんばかりの拍手に包まれながら「財政は厳しいが、職員や市民と信頼を築き、4年の任期を貫き通す」と謝意を述べた。

http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivjaug0908823/

 なかなか結果が出なかった。衆院選の開票との兼ね合いもあるのだろうが、差は小さかったか。

小選挙区

 花の一区。松本純(自民)vs中林美恵子(民主)vs香西亮子(共産)vs山本誠一(無)。松本純は野毛の薬屋のせがれ。子供のころカメラ少年で、遊説に来たときの首相を写真におさめ……。と、公式サイトからひく。

1958(昭和33)年7月8日
ボクのケッ作≫岸首相演説中をパチリ≫名カメラマンぶりの純ちゃん≫手紙そえて贈る
小学2年生の豆カメラマンが自分で撮った岸首相の写真に、無邪気な手紙をそえ首相に送った。岸さんも感激、自筆の「明るく清く正しく強く」という色紙を額縁に入れ返礼するという。
○… 豆カメラマンは横浜市中区野毛町二の六五薬局松本屯さん(三八)の長男本町小二年純君(八つ)。さる五月二十一日岸さんが桜木町駅前で選挙の応援演説をしているところをお父さんに買ってもらった五百円の豆カメラでパチリとやった。小さい体を利用して人ガキの中にもぐり込み一番前で豆カメラを向けた純君を見つけて岸さんはソツのない笑顔をいよいよほころばせ、自動車の上から手を振った。
○… 六月の初めころ「ボクのとった写真です。岸さんも元気でがんばってください。ボクもしっかり勉強します」という手紙をつけて送った。お母さんの澄子さん (三三)の話では純君は小さいときから手先が器用、模型つくりや絵を描くのが好きで、三つぐらいからカメラをいじっていたという。「特ダネをとるんだ」と開港百年祭のときも弟の研君(七つ)と一緒にパチパチ写し、作品はアルバムに大分たまっている。純君は「岸さんはテレビで毎日見てるから知ってる人みたい。もう忘れていたのに」とさすがにうれしそうだった。(記事記載通り)

松本純の政治との出会い

 開港百年祭というものがあったのか。Y150より盛り上がったのか? そういえば、市長選で中西さんが「Y150の総括」のようなことを公約に書いており、思わず一票入れようかと思ったくらいだ。中田氏を呼びつけて、「おまえは本当の開港精神を分かっていない! 総括しろ!」とか言って、「これは殴るんじゃない、総括援助だ」みたいな、以下妄想略。
 というわけで、これをもとに政治家を志したというのだから、なかなかよいエピソードのようにも思える。地元の政治家、という感じだ。もっとも、俺の地元は横浜じゃないんだけれども。
 それはともかく、なんで松本純に少し詳しいかといえば、引っ越してきてからしばらく、アパートに彼の活動記録パンフが投函されてきたからだ。麻生が首相になる前、総裁選で負けたあたりから、ともかく麻生の側近としての悲喜こもごもを綴っている、という印象。麻生が首相になったときには、松本純ちゃん、浮かれてるるんだろうな、と思い浮かんだくらい。
 が、どうもその、評判芳しくない麻生の腰巾着、のようにも見えて、なんというか、ここで麻生の側近が差しきられたら面白い、というような嗜虐心みたいなものも湧き上がってきて、だいたいこの純ちゃんを支持する理由もないか、というところ。だいたい、そこの角んところに幸福実現党が事務所用意してたのに、なんか出馬見送ってるじゃん。ひょっとして、小池百合子のおもしろ街頭演説みてえな? という懸念もある(結果として、幸福の獲得票数見るに、たとい協力したところでどれだけ影響力が? というような気もしたが……)。
 それで、また共産党に入れようかと思ったのだけれども、またこれ、松本vs中林の票が読めない。予測によっては松本優勢。またここで、市長選と同じ発想。今回は、死に票にしたくない。正直言って、なにか中林さんに惹かれるところはない(顔はピエール瀧に似てると思う)が、ここはなんとなく違うと思いながらも、中林さんと相容れるところが少なそうだと思いながらも、中林さんに投票。まあ、べつに、岩國哲人(最初この区に擁立予定だった)だったら進んで入れたわけでもないし。で、香西さんは陰ながら応援する。

→結果______________________

 麻生政権の景気対策や外交での実績などを掲げたが、自民党への逆風が直撃。この1年は首相官邸詰めとなり、首相の外遊に同行するなど多忙を極め、地元入りが激減していたことも響いた。選挙戦最終日には麻生首相と並んで京急線金沢文庫駅前で演説したが、訴えは届かなかった。

http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivjaug0908821/

 土曜の帰り道、金沢文庫で電車の待ち合わせ。ホームのすみに人が集まって、駅前の演説の方を熱心に見ている。それがけっこうな人数なもので、そんなに人を集めるのは何かと思って見やれば、「麻生太郎」の垂れ幕。時間的には、もう麻生は移動済みだったのだろう、松本一人が演説していたのだった。
 ちなみに、この選挙区の俺、候補者本人を見たのは、このときの松本のみだった。もっとドヤの方に来いや。
 あと、関係ないけど、この自民の選挙演説用バスは好き。この上の台に乗って、日本を旅したいと思う。あんまり日射しが強くなく、寒くもない季節に。けど、トンネルとか怖いかも。つーか、高さが怖いのかも。

比例代表

 ここでようやく「日本共産党」と書いた。共産党とも決して相容れないところ、とくに博打について相容れないところもあるが、まあ仕方ない。貧しいやつが共産党に一票入れて何が悪い、というような。支持とまでは言えない。ただ、たとえば、ここはそうじゃねえかと思ったのは、比例代表の削減に反対しているところ。()内は俺追記。

民主党マニフェストは)衆院比例代表の80削減を明記。実現されれば、自民・民主が9割以上の議席を独占します。

「建設的野党」がのびてこそ国民のための政治が実現できます/日本共産党の総選挙政策ダイジェスト

 憲法9条とかはともかく、このへんとかさ。むしろ、比例代表の方が死に票率(?)少ないらしいし。つーか、自民、民主二択というのはどうなのかというようなところもあって、ちょっと連立のような形をとった方がバランス取りやすいんじゃないの、というような。だから、国民新党とか新党日本とか、みんなの党もか、なんかわからんし、それぞれの政策の是非みたいなもんはさっぱりわからんが、どっかしら多様性というか、べつの何かがそれなりに用意されてた方がいいんじゃないかというか。自民に対して社会党、というところから、自民に対して民主、これで入れやすくなったところはあるけれども、なんというのか、今度は、自民、民主に対して、があっても、とか。そんで、まあ共産もいいんじゃないかとか。まあ、比例でがんばれ、と。ある意味、これが本線の馬券かな……。

→結果______________________

共産党は公示前と同数の9議席(全員比例代表)を獲得、自民党大敗に満足している。ただ、民主党が仕掛けた「政権選択」選挙によって存在感が薄れたのも事実。当初、共産党がこれまでの選挙で候補者を立てていた小選挙区に候補を立てずに、民主党への政権交代を側面支援したことがアダになったともいえる。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090831ddm005010124000c.html

選挙のむかつき

 以上が、俺のはずれ馬券だ。昨夜は、ビールや酎ハイを飲みながら、体に悪そうなポテトチップスを食らい、夜遅くまで選挙番組を楽しんだ。神奈川1区、2区はなかなか結果が出なくて、眠くなってしまった。一回寝て、三時頃目を覚まして、それでもやっている番組で結果を知ったりした。だからなんだ、こんなもんだ。
 そうだ、こんなもんだ。上の回顧を見ても、どこにも統計による血統理論やタイム分析、スピード指数、そんなものが出てこない。あくまで感情だ、ロマン派の馬券だ。こんなことでいいのかわからんが、俺にはベイヤー指数を使いこなす脳味噌はないんだ。それはもうしょうがない。俺が入れた誰かがクソだったり、働かなかったり、なんかしても、俺は気づかないかもしれない。投げっぱなしジャーマン。さらには、入れた責任というよりも、お上への敵意で、感情的な批判をしたり、無関心になったりするだろう。でも、しかたないじゃん。俺、政治よくわかんない。なかんずく、経済がよくわからん。
 でも、なにかもっと、「人間とは何か?」とか、「人生の目的とは何か?」とか、そんな話で争ってくれないかとは思う。いや、経済とか、そんな形而下のことで思い悩み、争うようなことがなくなればいい。いつかなくなる。そうなると、もう政治なんて必要なくなる。俺はそんな日を夢見る。俺が一票入れるのは、それに対してだ。

 一般的に言って、立派な知識、立派な経験、偉大な知性、なかんずく偉大な心を持った人が、われわれに自然で、かつ正当な感化(アンフリュアンス)を及ぼすのは、結構なことである。われわれは、この感化を自由に受け容れるのであり、天上の、あるいは地上の、何らかの種類の公式の権威の名において、われわれの上に押しつけられるのではないのである。われわれは、いっさいの自然的権威を、また事実の感化を受け容れはするが、しかし、法的な権威や感化は、いっさいしりぞけるのだ。なぜならばあらゆる権威、あらゆる法的感化は、それが公式に押しつけられる場合、ただちに抑圧と虚偽に転化し、必ずやわれわれの上に隷従と不条理を押しつけるようになるからだ。このことを、私は十分に論証したと思う。
 一言でいえば、たとえ、それが普通選挙から発したものであっても、いっさいの立法、いっさいの権力、いっさいの特権的で官許的な、公式かつ法的な感化をしりぞける。それが、搾取する少数支配者の利益になるだけで、彼らに従属する圧倒的な多数者の利益とはならない、と確信しているからである。
 われわれが真にアナーキストである意味は、まさにこの点にあるのだ。
「鞭のドイツ帝国と社会革命」バクーニン

 共産党は、共産主義の完成のあかつきには、党も政治もいらなくなると言う。しかし、俺はその過渡期に懐疑的だ。一方で、ある種の自由主義が、自由を推し進めていったあかつきに、小さな国家がさらに小さく小さくなって、なくなってしまうような、そんなことがあるのかどうか、よくわからない。真にアナーキストであること? まったくわからんよ。

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