野毛の純ちゃん緊急事態宣言下の銀座飲み歩き

「会わないと話ができない内容もある」 緊急事態宣言下で飲食店3軒をはしごした自民・松本純氏の一問一答:東京新聞 TOKYO Web

 自民党松本純・元国家公安委員長(70)=衆院神奈川1区=が、新型コロナウイルス感染拡大を受けた緊急事態宣言下に深夜まで都内のクラブなどに滞在していたと、週刊新潮の電子版「デイリー新潮」が26日に報じました。松本氏は国会内で記者団に「国民に我慢を強いている環境の中、私の行動自体が少し軽かったと反省している」と陳謝しました。

このコロナ禍、緊急事態宣言下で銀座を飲み歩いていた国会議員がいるという。だれかと思えば松本純だった。衆院神奈川1区。おれの選挙区から選出された議員じゃねえか。

このコロナ下でそれぞれ飲食店が、私自身も飲食の街の生まれ、育ちだが、たくさんの心配事を聞かされている。

で、この「飲食の街で生まれ、育ちだが」という部分は本当だ。すさまじく人生を偽っていないかぎり本当だ。

 

松本純の政治との出会い

衆議院選挙の応援演説にかけつけた岸さんを八つの坊やが豆カメラでパチリととらえた。この特ダネ写真をもらった岸首相、大喜びで早速自筆の色紙を坊やに贈ったというほおえまし話。

横浜市中区野毛二の六五、薬局経営松本屯さんの長男、本町小二年生純君(八つ)がこのカメラマン。選挙戦も終盤戦にはいったある日、桜木町駅前で総理大臣の岸さんが演説するというので純君もおばあちゃんや弟の研君(七つ)=本町小一年=と一しょに見物にいった。人がたくさん集まっていたけれどすばしこい純君、人垣の間をもぐり一番前に出た。それを岸さんが見つけて「ヨー」と手を(振)った(ところを)パチリ。なにせ五百円の豆カメラだし「どうせうつっていないだろう」とお父さんもいっていたが現像してみるとごらんのようなできばえ。

写真に「ぼくも一生懸命勉強しています。岸さんもお国のためにがんばってください」と手紙を添えて送った。これを受け取った岸さん、写真の腕前もさることながら坊やの愛国心にすっかり感激七日「明るく清く正しく強く」認めた色紙を発送した。色紙は八日、同君の家に届くが純君は「額に入れて勉強部屋に飾っておこう」と大喜び。(記事記載通り一部ミスプリ修正)

松本の純ちゃんは野毛の子なのだ。それが、岸信介の写真を撮って送ったら返事がきた。それが政治との出会いだという。社会問題や政治思想から入らなくていいのか、と思わなくともないが、人生そこまで理性ばかりで決められるものではないだろう。

……というのを知ったのも、やはり自分の選挙区の立候補者だったからだ。

愚か者のはずれ投票〜第45回衆院議員選挙〜 - 関内関外日記

2009年のちと古い記事になるが、そういうことだ。この年は民主党中林美恵子が勝った。ちなみに、この中林さん、こないだテレビで見かけた。あ、見たことある人だ。アメリカ大統領戦について解説している。Wikipedia見たら、今は早稲田大学の教授になっていた。

中林美恵子 - Wikipedia

まあ、アメリカ政治には詳しそうだ。

 

話を松本純に戻そう。とはいえ、あまり言えることも少ないか。せめて地元の野毛の居酒屋を呑み歩けば風当たりも違ったろうか。よくわからない。次の選挙はどうなるだろうか。

神奈川県第1区 - Wikipedia

……まあ、このくらいでは盤石かな。しかし、結果見ると中林さんが勝った年の自民党への逆風というのは壮絶なものだった。そういうときもあった。はっきり言ってよく覚えてないけれど。

しかし、やっぱり思うのは、松本純の人生である。撮ったのが岸信介の写真でなく、社会党の党首だったら、社会党に入ったのだろうか。でもまあ、中高私学やし、東京薬科大やし、保守的な方向に行くべくして行ったのかな。そのあたりわからんよな。政治も、人生も。

あと、もうひとり同時に話題になっていたっけ。

公明党のホープ・遠山清彦前財務副大臣「深夜に銀座高級クラブ」で党から厳重注意 | 文春オンライン

こちらは……神奈川6区。どうなってんだ神奈川県。

神奈川県第6区 - Wikipedia

こっちは自民党支持者の協力あってだから、小選挙区勝利はちょっと遠のいたか。

ちなみに神奈川2区は菅義偉首相。自民党の定年制に注文つけた青年局長の牧島かれんは神奈川17区。父親は県議会の大物で、河野洋平の後継。ほかはよく知らない。

さあ、次の選挙はいつになるんだか、おれはどこに入れるんだか。

 

f:id:goldhead:20210116213338j:plain