記憶の中の馬たち、いまいちど

みんなどんどん記していけばいいと思うんですよ。すごい共感するとか、すごいわかるとか、あるいはみんなと共感したいとか、そういうんじゃないんですけど、自分には自分の、その馬やレースについての記憶とか思い出みたいなものがあって、それがフワぁっと出てくるじゃないですか。で、あぁ、この人はこのときこんなこと考えてたのか、こんな馬券買ってたのか、俺はあの馬買ってたな、っていう感じで、10年ぶりぐらいにその馬やレースのことをそんなふうに思い出すっていう、そういうの面白いなって思うんですよ。

http://d.hatena.ne.jp/wasbinich/20090922/p1

ピルエット、たったひとつの◎

 何度目かの競馬場。まだ何もかも目に新しく、府中のスタンドはまだ古く、もっと居心地がよかった。俺はそのレース、穴を狙おうと思った。穴を狙って△がいくつか並んだ馬を買った。迷った相手はピルエットという牝馬。◎がひとつだけ打たれていた。そのころ、俺の片手には1馬が握られていたはずだが、その孤高の◎が清水成駿のものかどうかは覚えていない。
 して、勝ったのはピルエットの方だった。単勝万馬券。俺は呆然とした。そして思ったのだ。競馬はいくつかの△ではいけないんだ。たった一つの◎。多数決や合議ではないのだ、と。しかし、その後も俺はいくつかの△に惑わされ、的外れな孤独の◎に騙され、今もってなにも得ることがない。

ポジーの摩耶ステークス

 ポジーの摩耶ステークス。俺がそのレースを見たのか、馬券を買ったのかは覚えていない。ただ、その後、ポジーがここで打ち負かした馬がつぎつぎに勝ち上がったのに気づいた。とすると、この短名の牝馬はなかなか強いのではないか? 思いいたる。ただし、鞍上の北沢伸也が何者かはよくわからなかった。いまだにわからない。重賞で見せ場を作ったあとの2レース、俺は獲った。俺にとって「ポジーの摩耶ステークス」は深く胸に刻み込まれた。
 ポジーが一般的に知られたのは、ナリタブライアン以下の名だたる重勝馬に先着して5着になった天皇賞(秋)だろう。俺はこのレース、何を本命にしていただろうか。ポジーと心中したような覚えはない。ただ、しっかりとポジーの単複、いくらかの流し馬券を握っていたのはたしかだ。そのあと、北沢がどのような馬に乗って、どこに行ったのかもしらない。

キタサンテイオー最後の夏

 キタサンテイオーは脚の悪い馬だった。必死の努力でなんとか使っているという、そんな話を新聞か週刊Gallopかで読んだ。能力はあるはずだ。地方時代、全日本三歳優駿でプレザントを撃破している。そんなキタサンテイオーが新潟のオープンに出てきた。近走の成績を見れば、人気の割に負けていない。俺はここが勝負だと思った。馬券の欲と応援の心が合致した。あとは、現実がついてくるだけだと思った。
 キタサンテイオーは、負けた。しかし、まったく負けたわけではなかった。俺の目には、鞍上の谷中公一がミスをしたようにしか見えなかった。谷中さえうまく乗っていれば、キタサンテイオーは勝っていたと、俺はそう思っている。実際に、そこで何があったのかはわからない。わかりようがない。キタサンテイオーはそのレースを最後に引退したので、故障があったのかもしれない。ただ、俺は谷中をあまりこころよく思っていない。谷中には悪いが、それはしかたのないことなんだ。

青空とテーケーレディー

 大学を辞めたか辞める前だったか思い出せない。俺はひとり川崎競馬場にいた。昼間の開催だったか、ナイター開催のはじめだったか思い出せない。抜けるような青空だった、かどうか。青空だったのはたしかだ。俺はふらふらと内馬場に行った。馬券はもう買っていたと思う。内馬場の芝生。腰をおろしてみた。気持ちのよい日だった。俺は、寝っ転がってみた。そのようにするのが、そのシチュエーションに合っているような気がしたからだ。ただ、俺は、芝生の上に寝っ転がるのに慣れている人間ではなかった。なんとも、居心地の悪さを感じた。青空もきゅうくつに感じた。これでいいはずなのに、なにか違う。この据わりの悪さ。自分が、なにかから自由になって、好きなことをしているはずなのに、寝っ転がってる俺は自由ではなかった。俺という人間は、そんなものなんだろうと思った。
 女性アナの声が響いた。「テーケーレディー圧勝です!」。そして、誇らしげにこんな言葉がつけくわえられた。「あのロジータの妹です!」。しみったれた川崎競馬場になにか感情のさざなみがおこったように思った。俺は体を起こして、次のレースの予想をはじめた。