追憶と感傷の藤沢駅前、そして雨の遊行寺へ

藤沢ダイヤモンドビル、そして藤沢名店ビル

 このあたりに心当たりのある人間ならば、かならずその存在を知っているであろう、藤沢のランドマーク、ダイヤモンドビル、そして名店ビル。ただし、どこまでがダイヤモンドビルで、どこからか名店ビルか、俺もよく知らないのだ。



 追憶のジョイパーク。スト2全盛期。暗い店内、響く轟音、煙草のけむり、溶けたボタンとレバー球、画面の明かりを鈍く反射する50円玉の列、両替とコイン購入を間違えて途方にくれる同級生……。そのわずかな面影はあった。だが、格闘ゲームの対戦台は過去のものになり、なにか大きな競馬ゲームが稼働していたのだった。ジョイパーク、永遠に。



 ビルの中にはいくらかさみしいところも見られた。しかし、有隣堂は元気であった。少なくとも、伊勢佐木町のそれよりは。とくにコミックコーナーの規模には舌を巻いた。三浦建太郎の原画が飾られていた。ここと、ビックカメラの上にあるジュンク堂。その文化規模は、関内などをはるかに凌駕する。なにせ、ジュンク堂にはブランキの『革命論集』があったのだ。なんという品揃え、すばらしい。しかし、俺は金がないから古本専門。たとえば、年収四百万、いや、贅沢は言うまい、三百万あれば、本屋の景色などもまったく別物になるのだろう。

遊行寺

 遊行通りはなじみの通りだ。中学生のころ、この通りの映画館へ行った、ジーンズメイトへ行った。ただし、遊行寺という寺には行ったことがなかった。よく知らなかった。時宗というマイナーな宗派の総本山だった。あの、踊り念仏の一遍上人のお寺なのだと知ったのは最近のことだった。こないだ、そこをお参りした人がいたので、ふと記憶の底から甦ったのだ。この日は藤沢あたりに行くということで、ちょっと寄ってみようという気になっていた。夕方で、雨が降っていたけれども、とぼとぼと歩いて行った。


 駅から遊行通りあたりは、こんな案内があったが、そのさき藤沢橋のあたりまでは放り出されたような形になる。が、まあ、まっすぐ歩いて行けば見えてくる。

 聖智文庫には寄るつもりだったが、なんと俺と入れ替わりのように、イセザキモールに行っていてお休みだった。

遊行寺

 遊行寺に向かって進むにつれ、多くの男子学生とすれ違うようになる。藤嶺藤沢は、遊行寺の学校なのであった。これは知らなかった。門をくぐっても、どんどん境内を通って学生が来る。なかなかいい環境じゃないか。
 雨降りがだんだんひどくなってきて、自分たちのほかはお参りするひとの姿はなし。なかなか広い。立派なイチョウの大木。春には桜も咲くらしい。植え込みで雨宿り中の猫が、にゃあにゃあ鳴いていた。








城、イリス、そして

 そんなわけで、ひさびさの藤沢、雨の中を歩いた。こないだ買った異国料理本(ちなみに、これに載っていた清香園は家族でたまに行っていた)に載っていたベトナム料理の店にでも行こうかと思ったが、めんどうなので「庄や」になった。またいつか来ることもあるだろうか。まあいつかあるだろう。それでは。