先週のことである。
女「どっか遊びに行こう。なにかおもしろいイベントとかない?」
女「それは、いや」
……完全に食い気味で否定された。あなた仏像は好きなくせに聖絵に興味がないと。国宝だというのに興味がないと。結局、鉄道模型とカーを見に行った。あと、またこのお方とニアミスする危険があった。はてなはおそろしい場所である。いつか遭遇するかもしれない。用心に越したことはない。
というわけで、どんな展覧会でなにが見られるのかなどは上のリンク先でお確かめください。
おれにとっては久々の藤沢だ。おれには自分の行動範囲(だった)といえる街がいくつかあって、藤沢はその一つだ。ほかには大船と今住んでいる横浜市中区の一部があるくらいだが。しかしまあ、藤沢も離れてからしばらく経つ。この新堀ギターの建物も、昔は映画館があって、ジーンズメイトがあった。おれが中学生くらいのころの話だ。
遊行通りといえば聖智文庫という好もしい古書店もあったが、今ではなくなってしまっている。まあいい、行き先は遊行寺だ。とはいえ、遊行寺にも数年前に来たような。
まあなにか同じものを撮っているようであって、おれには成長のあとがないともいえる。
一方で遊行通りはいろいろ変わっていた。知らないロータリーができていたりした。
願い事がかなう自販機なんてなかった(と思う)。
それでまあ、藤沢橋通りすぎて遊行橋渡って(ぜんぜん門前町らしさがないところは嫌いじゃない)、はい本門。
それで一遍さん。一遍さんの到達したところはどこだったのだろうか。空也上人の「捨ててこそ」を地で行った人である。南無阿弥陀仏の名号を窮極とした人である。捨聖である。そして貴賎区別なく御札を配った。空也上人の、中将姫の、聖徳太子の縁の地を遊行した。熊野権現の神託を受けた。日本という泥沼のシンクレティズムに陥ったともいえるかもしれない。明恵の「阿留辺畿夜宇和」や鈴木正三の日常の禅(とはいえ、正三のそれはかなりスパルタだが)のようなところもある。南無阿弥陀仏の絶対他力で救われる。そして踊った。踊り念仏。念仏が踊るのだ。これもまた日本土着の文化と結びついたものかもしれない。ただ、なにか自由というものも感じる。一遍自身には厳しさというものを感じずにはおられぬが、なにかしら人びとを集めるようなところがあるかもしれない。一遍は自ら望んで宗派など作ろうとはしなかった。しかし、結果的に時宗は小規模ながら今の今まで永らえている。盤珪禅師の宗派は残らなかった。踊りのあるなしだろうか。後継者の問題だろうか。一遍は死ぬ前に自らのノートを焼いた。しかし、二代目の聖戒は聖絵という形で一遍の人生と教えを残した。その聖絵を見られる、のである。
まあもちろん、国宝をパチパチ撮ってくるわけにもいかないわけで。宝物殿は土足厳禁で、入り口でスリッパに履き替える。入場料を払って二階へ。展示室は想像していたより狭い。わりと人は多い。入り口に口から南無阿弥陀仏を出している空也上人の像があった。これがちょっとすばらしいできで、持ち帰ろうと思ったくらいである(持ち帰らなかったが)。
で、聖絵である。聖絵を見ながらおれはなんというか、「巻物という絵画の形式」についてなぜか考えてしまった。江戸時代に再編集された、聖絵の場面場面をコマ割りにして、漫画のようにしたものも展示されていたせいかもしれない。なんというのだろうか、同じ一枚絵の中にありながら場所でなく時間すら移ろっていくその有り様。これは日本独特なのか、他文化にも存在するのか、などなど。
もちろん、絵自体も興味深いものだった。おおよそ遠景で、細かい背景に、細かい人びと。よく見ればいきいきとしている。ある場面では修正のあとなんかがあって、武士からスタンドが出てるみたいになっていた。
一番良かったのは、えーと、第七巻だかの、空也上人の縁の地で踊り念仏をするやつだ。高床式舞台みたいなところで一遍を中心とした時衆がみっちりぐるぐる回りながら踊っていて、そこに向かって大勢の人が群がってきている。輿だか牛車だかも押し寄せている。武士も子供も押し寄せている。なんらかの舞台が出来上がっていて、エアがグルーヴしている。そしておれはこれがもうアニメーションされているように思えて、宮崎駿の手で動いているように思えてきたのだ。わくわくさせられる何かがあった。絵巻のなかではこれが一等で、ちょっと包んでくれないかと言おうと思ったくらいだ(言わなかったが)。
ほか、伝・中将姫の写経やらあったり(おれは中将姫ファンなので)、とりあえずもう一周して宝物殿を後にした。ちゃんと靴も元通りのところにあった。知らないやつの靴を履いて犬のクソを踏み知らんぷりするような人はいなかったということだ。ありがたい。南無阿弥陀仏。
来たときはかなり曇っていたが、出てみたら少し日ざしもあった。いつか来たときは雨だったのであまり見て回らなかったが、時宗総本山をうろうろしてみた。
そういえば最近、交通事故にあって死んだ人の身元がわからず、ただ競輪場への無料バスの切符だけが手がかりだった、という話があった。
事故死男性の身元、競輪場送迎バス乗車券で判明 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
男性の所持品は、ジーパンのポケットに入った現金数千円と「藤枝」と印字された静岡競輪場発行の無料送迎バスの乗車券のみ。免許証など身元を特定できるものはなかった。
これも「捨ててこそ」の一つの形のように思えてならない。これに密かなあこがれのようななにかを抱くのはなぜだろうか? おのれの寄って立つところを一切捨てる。身分証明書を一切身につけない。現代において、これはいささか大変なことでもある。おれは(最近ご無沙汰だが)ジョギングするときにiPhoneを身につける。音楽と走行距離の記録のためだが、それだけと言えるだろうか。なにか事故にあったときに、やはりおれがおれであることを証すなにかがなくては落ち着かないからではないだろうか。そしてその、「おれがおれであること」にどれほどの価値があるのか、意味があるのか。
おれはもうすべてを諦めたようなふりをして、その実諦められぬなにかに拘泥している。思うように生きるのは、どれだけ捨てられるのかにかかっているのか。その「思うように」すら捨て去るにはどうすればいいのか。簡単な話でもあり、完全に困難の道でもある。そのように思う。
墓が、あった。あと、中将姫じゃなく照手姫ゆかりのなにかがあった。当然のごとくファスティギアータ樹形が特長のハナモモの品種、照手シリーズが植樹されていたりした。
いい顔のお地蔵様というのはたまにいらっしゃる。
ペットの供養というものも行われていた。日本仏教では「あり」でしょう。
というわけで、おれは遊行寺をあとにした。
足も少しつかれたし、腹も減ったので帰ろうかと思ったが、名店ビルくらい訪れることにしてみた。
なにせ有隣堂5階の古書コーナーには形を変えた聖智文庫もあるのだし。ああ、この古本コーナーのすばらしさはなんだろうか。横浜市中区に足りないのはこれである。いや、どっかにあるかもしれないが(たまにイセザキモールの有隣堂がやってるけど、常設じゃないよな?)。おれはここで久々に古書を買った。『ザ・大杉栄全一冊』という代物で、翻訳を除く大杉栄の活字が(たぶん)全部載っているという代物だ。
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あらたに誰かが打ち直したということもなく、転写(というのかな?)を詰め込んだ代物だ。こういうのもあるのか、と思った。これは手元に置いておきたいな、と思ったのだ、なんだかね。
まあ、そんなところで藤沢を後にした。藤沢駅からはなんとかライナーでよくわからぬ行き先の電車に乗った。普通の東海道線というのはなくなってしまったのだろうか。まあ、おれの生活には関係ない。乗ってみたら頭まですっぽり被った全身ファラオの男がなにか参考書を読んでいたがそれも関係ない。おれにハロウィンは関係ない。おしまい。
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