おまえらの知らない鎌倉を歩く(GR IIIxの実用)

おれは鎌倉市で二十年近く暮らした。おまえらは鎌倉の一部しか知らない。

 

「鎌倉には鎌倉駅か北鎌倉駅から行けばいいんでしょう?」と思っているのか? 違う。大船から行け。

 

湘南モノレールに乗るのだ。

 

そして、「西鎌倉」へ行け。「北鎌倉」ではないぞ。おれは昔、和装をした女性二人が「西鎌倉」で降りて、「えー、お寺とかないんですか?」とか言っていたのを目にしたことがある。ここにはない。しかしなんで、あえて「西鎌倉」を選んだのか。鎖大師へ行け。

 

西鎌倉駅前、ここは昔コンビニだった。ニートだったおれは早朝ここに週刊ジャンプを買いにきて、車で接触事故を起こした。

 

とにかく湘南モノレールだよ、兄貴。え、おれの兄貴って誰だ?

 

SUZUKIYAはおれの身体を構成する食品を供給していていたスーパー。

 

まあ、七分おきにモノレールはやってくる。

 

子供のころの外食といえば、このロイヤルホストか昔対面にあったすかいらーくだった。おれはこのロイヤルホストで、ロイヤルホストのサラダドレッシングの美味しさに目覚めた。

 

西鎌倉小学校。このブログを読む人の一人に西鎌倉小学校出身の人がいるかもしれないという事情による。

 

鎌倉市内のローソンの色。

 

また、西鎌倉小学校。西鎌倉小学校は遠足でディズニーランドに行くとかいう話だった。

 

さて、少し歩いて、こんな光景。この木々に毛虫がついてさあ大変、となるとおれの記憶に合致する。

 

はい、おれの出身校です。出身園?

 

Googleマップで見ると、「こんなに西鎌寄りだったっけ?」と思うのだけれど、現地を見るとそうだったかなと。このレリーフも位置をかえて使ったものだろう。

 

やっぱり、風の子広場。

 

おまえは40年前もあったろう。

 

おまえも。

 

そうなんだよ、裏の公園とこういうゲートで繋がっていた。そうなると、べつに幼稚園の場所が移転したわけでもない。記憶とは曖昧なものだ。

 

この水飲みも40年前にもあったろう。

 

「西鎌倉」のメーンストリートに戻る。おれにとってはここが西鎌倉のメーンストリートだ。

 

おれが子供のころ髪を切ってもらっていたのはここだった。

 

ここはなんか雑貨とかあったけど、おれが子供の頃にはもう廃業していていた。

 

美容室なので縁はなかったが、昔からあったと思う。

 

吉野眼科もあったと思う。行ったこともあると思う。

 

アキヨシ電器もあったと思う。40年前。

 

ここは昔、「ハイマート」というチェーンでないコンビニのような店があって、その後訪れたらコンビニになっていた。今はもう店でもない。でも、少し、「店」であった面影がある。

 

モノレールに合流する。

 

西鎌倉から片瀬山へ行く道。左手に見える家には、一時期おれの友だちが住んでいた。しかし、その子の祖母がモノレールの音に耐えられないといって、引っ越してしまった。

 

片瀬山駅、湘南白百合の看板。この看板は変わらないと思うが、経年劣化で変わらないはずもないので、まったく同じ形で更新しているのだろう。

 

湘南モノレール「片瀬山駅」。おれがこの生涯で一番利用した駅。中学受験のための予備校通いから始まり、中学高校、そして中退する大学の途中まで利用した。

 

おれにとっての「駅」はこんな感じなんよ。

 

して、片瀬山駅から海側へ出る。この景色がおれにとっての「家への道」なんだよな。なんか、この正面の建物、所有者は変わっているかもしれないが、建物自体は40年前と変わっていないような気がする。海が、見えるんだ。

 

広大な更地。更地といえば阿部芙蓉美の名曲を思い出すべきだ。

 

この急な階段の下の急な坂道。ここを強引に下ることによって、おれは自転車に乗れるようになった。

 

よくわからない段差。この段差をおれは登ったり降りたりして歩いた。この段差はおれの人生にとってかけがえのないものだが、あったとしてもなかったとしてもべつにそれほど違いはなかっただろう。

 

更地アゲイン。なんと、この更地はこっちから繋がっていたのか。すごいでかいぞ。というか、ここには江ノ電の社長の家があって、雪とか降ったら社員が総動員で雪かきしていたのだ。ああしかし、あっちがわとつながるくらいでかかったのか。それは知らなかった。更地。

 

で、これがおれの実家があったストリート。ストリート?

 

まあ、このうちの二つの家が一個分でおれの実家だった。親が事業に失敗して手放すとき、二つに分けて売った。

 

おまえは40年前からあるよな?

 

この松とかも。

 

母の車に乗ってどこかへ行くとき、この道を通った。「高さ4.5m」という結界がはられている。

 

片瀬山駅から坂をのぼる。こんな駐車場はなかった。

 

至近で見るモノレールのレール。

 

こういうのが、日常の中にあったんだぜ。なかなか、いいだろう?

 

あんまり、ないだろう、モノレール。

 

片瀬目白山。すぐ近くにプールもあった。

 

少し横道に入る。これはおれの通学路。湘南の海が見える坂道の上。

 

目白山医院のあったところ。母は鎌倉を離れてからも、ここを主治医としてわざわざ通っていた。医師が地方医療へ転身してしまったので病院自体がなくなった。

 

ここから先は大昔、京浜急行の有料道路だったのでお金を徴収する係員がいた。おれには実際の記憶があるので、40年くらい前の話だ。

京浜急行線 - Wikipedia

 

目白山下駅。

 

目白山下の脇から片瀬山公園に入り、仏舎利塔を通って龍口寺に出るという話。

 

ああ、あったらな、きみな。

 

丹沢大山のほうが見える。

 

とかいっていたら、迷う。迷うというか、龍口寺方向への道が途絶えている。

 

結局、目白山下駅まで戻り、脇の道を下ることになった。このプール。おれが通っていたころにはなかった。原敬の別荘跡地があって、ぜひプールにという話を持ちかけていたが、跡継ぎの人から認められなかった。このことによっておれは原敬に対してあまりいい気持ちを持っていない。腰越小学校の子供はプールがなく、腰越中学校のプールを数度利用できるだけだったので、おれは泳げないまま小学校を卒業した。

 

小学校の裏。いろいろ思い出はあるが、まあ。

 

はい、いきなり江ノ電自転車ニキのいるようなところへ。

 

自分的には遠回りして龍口寺へ。

 

龍口寺は日蓮様のあれなので、けっこう人がいて、けっこう信仰にあつい人が多くて(「日蓮聖人が~」みたいな話をしている)。でもおれは、あまり日蓮様を好きではないので、お賽銭を投げて心で「南無阿弥陀仏」と唱えた。知った話か。

 

して、おれは仏舎利を目指す。

 

この階段のぼるの?

 

のぼったら、あったなあ。

 

そして、後ろに行ってたら、行き止まりなんだな。片瀬山公園でBB弾の撃ち合いして、そのまま龍口寺に出て、なんか教員の集団から言われたのって、模造記憶なんだったんかな? いや、しかし、つながっていたような気がしてならないのだが……。

 

記憶の模造か。

 

人の記憶はあてにならない。

 

なっとくはできない。

 

江ノ電、この野郎。

 

癖の強そうなラーメン屋。

江ノ島らぁ麺 片瀬商店 - 江ノ島/ラーメン | 食べログ

 

まあ、べつに中に入ったら普通です。しかしこの、イカの肝の味噌漬けの美味しさ、ご飯との相性ときたら絶品であった。

 

地魚ラーメンは塩。しかし、イカの肝がすごいので、ぜったいに頼むべき。

 

店内はこんなん。

 

そんなんで、モノレールで大船から帰ろうかとも思う。

 

思ったが、このまま藤沢駅まで北上してやろうかと思う。

 

どうせなら、江ノ電の近くで。

 

境川。

 

たぶん聖書から。

 

仏舎利の存在感。

 

この橋の道を南下すれば湘南海岸公園だったが。

 

釣り人はどこにでもいるが。

 

藤沢に向かって歩く。

 

飛び出し注意。

 

白い鳥。

 

薄いピンクの花。

 

電車の通る橋。

 

江ノ電、来たね。

 

鵠沼駅。なんか足が痛いぞ。

 

どうしようっかなー?

 

江ノ電で藤沢に出よう。満員で乗れない? いや、前の電車で乗る人がいたのでその心配はないはず。

 

ニュースくん。

 

鵠沼駅のベンチ。アジカンの「サーフブンガクカマクラ」でも聴いた方がよかったか。今日はずっとNulbarich聴いてた。

 

おれは江ノ電より湘南モノレール派なんだからね。

 

行違よいか。

 

前の電車が行ったばかりだったので、しばらく待って次の電車が来た。モノレールの間隔より下だな。

 

すぐに藤沢駅。まだまだ鎌倉駅方面へのお客さんも多い。

 

藤沢駅。「規格外」。

 

あの日、サブウェイからも見えた湘南美人。

 

自称・桐島聡も歩いたのだろうかこのあたり。おれは藤沢に会社があったころここはよく歩いた。

 

藤沢といえばフジサワ名店ビル。

 

そしてダイヤモンドビル。ここには「湘南最大のゲームセンター」があって、ストII全盛のころのおれは通い詰めた。

 

もう、ここもなくなるわ。

 

悲しいけれど、再開発は必要なのだわ。

 

階段ノスタルジー。

 

さよならダイヤモンドビル。

 

タクシーの列。

 

「規格外」。

 

有隣堂の古書イベントで三冊購入。いや、一冊はべつの形で持っているし、もう一冊は読んでいる。古書おそるべし。

 

バスの渋滞。

 

そしておれは藤沢駅から東海道線で大船駅へ出た。

 

大船駅から京浜東北線で北上した。

 

今回はおれの元実家あたりを紹介した。これはおれが前に住んでいたアパート。徒歩圏内にある。まあ、どうでもいい。GR IIIxはやはり140枚くらいでバッテリー一本くらいだ。こまめに電源を切ったほうがいいかもしれない。次は、どこか知らないところへ行きたい。

 

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