- 作者: 水樹和佳子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2003/11/15
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『イティハーサ』はすばらしい
水樹和佳子『イティハーサ』読了。すばらしいのぜひ読むべきである、もしもあなたが読んでいないのならば。どこがすばらしいか? まず、一貫したSFのマインドのようなものであって、端正、端麗な絵であって、装飾のように描きこまれた植物であって、そして神か人か男か女かよくわからぬ登場人物たちであって、はたしてなんといっていいかわからん。
亜神、威神の神々の描かれ方というか、そこにそんな風にいる感じがたまらない。
色付で読みたい。
壮大なSF的テーマへのアプローチというのか、そこに行くまでの時間のかけ方や比重、それは発表媒体による制約のようなものもあったのかもしれないが、ただ、それゆえにというところもあってよい。
神的なものと人間。4巻の大森望の解説で、『幼年期の終り』、『2001年宇宙の旅』、『百億の昼と千億の夜』、『果しなき流れの果に』、『神狩り』などの名が挙げられている。俺としては『妖星伝』を挙げておきたい。鬼道衆のありよう、そして人類。
緊張感を伴い続ける長編にはビッテンフェルトみたいなやつが必要で、そういうキャラもいる。
どのキャラがいいかと問われると困るが、桂さんと答えておく。
支離滅裂だ。俺は、いいものについて「よかったなあ」という以上につらつら言葉を重ねるのは苦手だ。だから、以上。
少女漫画とSF
で、なんで少女漫画とSFってこんなに相性いいのかね? と、この水樹和佳子(『樹魔・伝説』、『月虹 セレス還元』も読んだ)と、萩尾望都、それといくつかを読んだ程度の俺は思うのだけれども。まあ、このあたり、漫画評論だとかSF評論だとかに疎いので知らないが、さんざん論じられてきたものかもしらん。それで、文庫版の2巻の解説に次のような記述があった。小谷真理という人の解説だ。
たぶん、彼女は、少女漫画で醸成された手法を巧みに使うことができる稀有な人だと思う。少女マンガは、家族・友人・恋人といった人間関係など身近な世界を描く手法をきわめて精密に発達させたジャンルだが、その一方で、必ずしも身近な世界にのみとどまることはなかった。その繊細な手法を駆使して、女性たちの感覚に合った世界観や歴史観を繰り出す方向も熱心に追求していたと思う。おもしろいのは、そうした世界にまで広げられる思考力が、いつも何かに取り憑かれたように噴き出してくることで、したがってそれらは、意外性に満ちたダイナミックな印象をもたらすことが多い。ところが、ダイナミックな思弁力をいくら広げても、身近な世界を丹念に描くというところから思考が始まっているためか、これがまた強い説得力を持ちうるのである。
異世界の異質性をリアルに描くというSFやファンタジーの衝撃性は、その意味ではずいぶん少女マンガと相性がよいのだ。その極北のひとつに、本書の作者は立っているのだと思った。
人間関係や心情の細やかな描写+女性特有(?)の過剰さ=SFと相性がいい、といったところだろうか。「何かに取り憑かれたように噴き出してくる」ところで、一歩踏み込みすぎて、作者が本当に何かに憑かれたというか、神がかりになってしまうようなところもあるか(『イティハーサ』はSFなのでそうではない。むろん、神がかりになってすごい作品だってある)。
なるほど、なんとなくわかるような気もする。その、俺の感じるSFのコアというところは、どちらかというとメカだとか兵器だとかではなく(言うまでもないが、メカも兵器もすごい好きだが)、発想の過剰さみたいなところもあって、それは……それはなんだろう? たとえば、ハードSFにしびれるところから言えば、人間関係や心情は隅に置いておけ、というところもある。が、そうではない部分。
なんだろうね、寂しさかね? 抒情? 宇宙的にリリカル。宇宙的なリリカル。そこのところが、この、少女漫画のコマから感じられる。
6巻の菅浩江という人の解説冒頭に次のような言葉があった。
SF界にはあまりにも有名な言葉がある。
野田昌宏氏いわくの「SFは絵だねえ」。
想像力の極限に挑むこの分野であるからこそ、非日常を描写する幾万の言葉が、閃光のように目玉に飛び込む一枚のビジュアルに負けてしまうことも多い。文章書きとしてはこの上もなく悔しく、ファンとしてはこの上もなく嬉しい瞬間だ。
俺はSF界に疎いのでその有名な言葉は知らないが、そういうところがあるか。その、ビジュアルといっても壮大な都市とか、神々の戦いの凄まじさというのではなく、もっと当たり前の場で出てくるあたりとか、スッと入っていくるところとかも強烈だ。
俺が『イティハーサ』で好きなのは、神さまが古代の樹の上にスッと立ってるビジュアルだ。そんなに目立つものではない。3巻115ページより。
シルエットになっていてはっきりと姿は見えない。樹の大きさから考えると、人としては大きすぎるかもしれない。それが遠くの方にいる。幾度もこの描写が出てくる。出てくるたびに「ああ、神さまってこれだよな」と思う。神さまというか、妖怪というか、なんだかわからないが、ともかく「こういう感じだよな」という気がする。この「感じ」というやつは、どうも絵でなくてはならないし、かといって一枚絵でどうかというところもあって、漫画の力か、などとも思う。
……と、また読み返しそうになった。時間切れだ。それではまた、祈安!