ストライクウィッチーズの宇宙世紀ガンダム世界の感じ、あるいは世界の広がりについて

 第10話。‘黄の14’ハンナ・マルセイユが突然登場したりしてテンション上がったわけなんだけれども、俺がどうも『ストライクウィッチーズ』世界にひかれる理由にそのあたりがある。というのも、アニメ本編というか、メディアミックスものなのでどれが本編というあたりもあるのだろうけれども、ともかく世界というか設定が広がっていて、なんとなくチラッとわかっているけど、よくわかんない感じもある。そのあたりが、本編的なところにちょっと絡んだりしてくる。竹井さんとか、ウルスラとか、マルセイユさんとか。
 この感じがなんなのか自分の中で探ってみたら、やっぱりガンダムか、という気がした。RX79年生まれの俺の幼少時代、本編放送はとっくに終わっていて、ガンダムに触れる大きな部分はカードダスとガン消しだった。俺など、むしろ小説を読んだ方が先だったんじゃないだろうか。
 まあ、ともかく、なぜか本編すら定かでない中でも、‘ソロモンの白狼’シン・マツナガだの、‘真紅の稲妻’ジョニー・ライデンなどに、今風に言えば萌えていたわけだ。なんか知らないところでも広がってる感じ。その感じが好きだ。そういう意味では、0080や0083なんかの宇宙世紀ものも、そういう広がりの中にあるからこそ好もしいところがある。
 こんなふうに、ある作品世界が広がりをもって、ファンやさまざまなクリエイターが……というのは、古くはラヴクラフトクトゥルフ神話を……みたいな話があるんだろうけれども(そういや俺、ダンセイニ卿は読んだけど、ラヴクラフト知らない)、なんかそのありよう自体に面白さがあんだろうな、みたいな。
 それで、たとえば、競馬なんだけれども、俺が競馬に初めて興味を持ったのも一頭の馬の背後にある捉えがたいほどの広がりを感じたことで、ある意味これら作品世界の広がりに似たような何かを感じている。あるいは、プロ野球だってそうだ。俺は選手名鑑的なものを愛する。
 まあともかく、なんというか、ともかく、俺はストライクウィッチーズ世界にそれを感じていて、ガンダムくらい広がっていけばいいと思っている。二期が終われば三期、というのも当然望むところだが、単にその直線でなく、さらにどんどん色々と架空年表が埋まっていけばいいと思うし、なんだろう、まったくそうなったらあと20年くらいは戦えるだろうし、俺もそのくらいは生きたくなるような意欲も湧いてきてしまうかもしれない。まったく。