心も体もみるみる燃える、おすすめジョギング・ダイエット

 有り体に言えば太ってしまった。震災以降のことである。珍しく米食したせいなどとは言うまい。ある種の小さな自制が効かなくなってしまったのだ。一泊二日の旅行だからいいだろう。歩いているから酒を飲んでもいいだろう。エトセトラ、エトセトラ、俺の腹。
 あまりにも急でよくわからないくらいだった。気づいたら、腹が出ている。俺は体重計を買った。体重計についてはAmazonが安かった。BMI体脂肪率、骨格筋量がわかる。肉体の年齢も、内臓脂肪のレベルもわかる。なんてことだ。
 体重計の説明書から学んだ。摂取カロリーを減らせばなるほど痩せる。しかし、筋肉が減る。筋肉が減ると代謝が減る。太りやすい体になる。そういうことだ。すなわち、痩せて健康的な肉体を維持するということは、我が身を燃費の悪いスポーツカーにするようなものだ。
 また、『Tarzan』No.581号から学んだ。曰く、体脂肪燃焼と筋肉量増大の相反する部分のある二つの目的を達するには、同時進行でなく交互に行うべし。また曰く、少しでも筋肉があるならば、とりあえず有酸素運動でガンガン脂肪を燃やしてしまえばいい、と。俺は自転車で作った若干の筋肉がある。足に偏ってはいるが。持久力というほどのことではないが、まったく運動していない人に比べれば、簡単に息も上がらない。
 走るしかないのだ、やはり。クロスバイクで運動の充足感を得るには、1回100kmとは言わないが50kmくらい走らなければならない。自転車は楽な乗り物だ。それには時間がかかりすぎる。また、あれは軽車両であって、交通への気配りも必要になる。短時間で効果をあげるならば、走るしかない。むろん、歩行者とて交通の中だが、道を選べばその安全度は違う。泳ぐ、というのもあるだろうが、俺は平泳ぎでしか泳げないし、どこにプールがあるのかも知らない。

 そういうわけで、俺は走っている。ここで言う「走っている」は「歩いていない」と同義だ。ある日は本牧へ、ある日は根岸の山へ、山手のドルフィンへ、そして、港の見える丘公園へ。
 港の見える丘公園へ。通る道は山手本通り。高級住宅街もいいところだ。こんなところをうろうろしていては、あっという間に通報され、検挙されるのは目に見えている。鎌倉山の住宅街のコアな部分はそうだった。いくらRUDY PROJECTの度入りスポーツグラスをしているからといって、ユニクロとg.u.上下にスポーツオーソリティの靴下、100円のリストバンド、2990円のランニングシューズですべてが露見する。ジョギングを続けなければいけない。歩いてはならない、ましてや立ち止まってはならない。心のなかの宅間を抑えこむ。走りにくい石畳の上を黙々と走る。いつか叛旗の火が燃えさかるとき、この石畳がひっペがされ、あのベンツ、このポルシェ、セコムのセキュリティカメラを破壊するのだろうか。フェリス、雙葉、立ち止まってはいけない。光が漏れる校内、青い花を想像してはいけない。革命軍は彼女たちを襲わない。いや、彼女らこそ少女セクト、騒乱の中で美しく躍動する。この世に少女以外美しいものなどいっさい存在しないのに、なぜ俺は息を吸って、吸って、息を吐いて、吐いているのだろう。多くの生き物が醜くこの地を這い回っているのだろう。あのベンツ、このベンツ、あの外人、年寄り、走ってやる、走ってやる。みなとみらいの夜景、見ながらのディナー、走ってやる。劫火をバックに俺はひとりエレーナのパフェを食ってやる。港の見える丘公園、工場、橋、橋の上をゆくトラックの光の列、見ないふりして、ベンチに向かうカップル、フェラチオ、見ないふりして、石畳黙々(いたずらにラインを左右させるな)、外人墓地の墓石を、投石機で放つ、放物線の先、走ってやる、走ってやる、脂肪も憎悪も燃やして、俺は60年代それとも70年代のピンク映画の主人公、やっつけてやりたいんだ、くそったれ、1週間30kmの道のりを1km6分で刻んでいきたい、俺をiPhoneが監視する、GPSに追われる、最近のおまわりはスクーター、電動アシストサラリーマン、地に立つものはみな横たわれ、空飛ぶものはみな墜ちろ、走ってやる、走ってやる……。
 
 
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以下がジョギングに必要なものすべてである。ほかに何一つ買ってはいけない