諸君らの愛した競馬は死んだ! なぜなんだぜ?

「自分の居場所がなくなったということかな。調教師という仕事が理想像とは違ってきた」。定年まで10年以上を残しての勇退。理由を多くは語らないが、決して経営に行き詰まったわけではない。「競馬って面白いんだよ。馬主さんやファンがより魅力的に感じられる競馬に戻ってほしい」とメッセージを送った。

http://www.daily.co.jp/horse/2011/07/14/0004268407.shtml

 後藤由之調教師の勇退である。そこまで成績の悪い厩舎ではないようだから、廃業ではなく勇退の二文字が正しかろう。
 おそらくは、社台系列による寡占とその体制、それによる調教師の権限の低下、そういった風潮こそが語られない理由だろう。語ったところで競馬マスコミが書くか知らないが。まあ、べつにいろいろのケースも考えられるが、この記事から推測するに、と。
 競馬はつまらなくなったのか。毎週、「ジョギングシューズを買うべきだった」と思うていどは馬券を買う俺が思うに、まあ、俺にとってはつまらなくなっている。俺と競馬をつないでいるのは、辛うじて亀マジサンクスによる、ごくごくたまにある高額配当くらいのものだ。おそらく、そのような血統馬券に巡り会わなければ、競馬と今より縁遠くなっていただろう。水彩画をはじめていたかもしれない。
 だいたい、今の競馬になにか語るべきことがあるのか、という。大仰か。もっと具体的にいえば、今この時代に別冊宝島競馬読本があったとして、どれだけおもしろい話があるのだろうか。あるのかもしれないが、よくわからない。すくなくとも、競馬についてなにか語りたいという気分はひどく少ない。たまに佐藤哲三が意地を見せようが、しょせんは社台の運動会という諦観。
 いや、他人のことは知らんよ。俺の話だ。おまえはおまえで勝手にやったりやめたりすればいい。俺と競馬観が一致する人間がこの世に一人でもいるだろうか。
 もっとも、社台が悪いとか悪者だとか言う気はない。ルールの中で最大限に努力し、勝利し、得たものを投資してさらに強くなる。優勝劣敗、競馬のベース。むろん、リスクだってとってきたし、早田牧場になっていたかもわからない。
 ただ、一方で競馬は興業。少なくとも、日本の競馬はそれで成り立っている。本人に責任はなくとも、原因となってつまらなくしてしまうことはある。競争相手の弱さが問題だとも言えるが。真剣勝負の競争と面白みのバランス。競技やなにかが高度化すればするほどけれん味は失われるところもある。勝者がさらに得て、敗者はさらに失うタラントンの世界にもなる。
 大リーグなどは戦力均衡策に工夫を凝らしているという。そこのところ。ただ、野球で言えば、読売が親会社の資金力で戦力強化するのを野球の努力、野球の勝負とは言いたくないが(このたとえは今の弱い読売に当てはまらないとは思うが)、競馬となるとちょっと話は違うかもしれない。直接的に賞金を奪い合う世界。興行収入がベースであるとはいえ、直接ではない。さらにいえば、馬主がどういう競馬を志向しようが自由。この構造の複雑さ。
 かいけつさくはというと、じかんぎれだいs、かんがえてもわかんねー。