凱旋門賞は99年(エルコンドルパサー)、10年(ナカヤマフェスタ)に挑戦していずれも2着。ダービーも12年(フェノーメノ)、14年(イスラボニータ)ともに2着に終わっている。「手の届きそうなところまでいったけど、結果勝てなかった。でも自分としては、できる状況の中で精いっぱいやったし、悔いはない」と振り返り、「改めて調教師としてチャンスをもらったし、もう一度チャレンジしていきたい」と決意を新たにした。
蛯名正義が引退する。引退すると言っても、来年の二月までは騎乗するのだが、ともかく調教師試験に受かったのだから調教師になるのだろう。
おれが競馬を始めたころの蛯名正義というと、美浦の岡部一派(そのようなものがあったのかしらない。おれが抱いていたイメージ)の一人だった。そして、どうしてもG1が勝てない騎手、というイメージだった。
本人は思い出したくもないだろうが、やはり思い出深いのはステージチャンプのガッツポーズということになる。「騎手でも本当に勝ち負けがわからないこともあるのだ」と心に刻み込んだ。
が、ようやく蛯名正義がG1を勝った。バブルガムフェローの天皇賞(秋)だ。
天皇賞(秋)|1996年10月27日 | 競馬データベース - netkeiba.com
ああ、なんていい面子だろうか。おれは贔屓のカネツクロスから馬券を買ったのだと思う。それにしても、いい面子だ。
そして、エルコンドルパサーとの出会い。BSの凱旋門賞中継、迫りくるモンジューに思わず指を押し当て、「来るな! 来るな!」と願ったものだった。ブラウン管のテレビ画面に指紋が残っただけだった。
馬券的に思い出深いのはウメノファイバーのオークスということになる。
優駿牝馬|1999年05月30日 | 競馬データベース - netkeiba.com
清水成駿の予想だったか、自分でなにかピンときたのか思い出せない。ただ、7番人気16.9倍の馬をG1本命にして勝負に勝った。とはいえ、とくに蛯名正義贔屓になるようなことはなかった。
ほかには……まあいい。また引退のときになにか書くかもしれない。
果たして蛯名正義は調教師として成功するだろうか。こればっかりは本人の技術ばかりではなく馬主などとの付き合いがあって結果が出るものだから、わかりはしない。ただ、定年制の調教師なのでいきなり残された時間は少ない。調教師になったら一年目からいきなりG1勝ちました、なんてことになったら面白いのだが。いや、もし藤沢和雄厩舎の馬を引き継いだら可能性がないこともない。楽しみにしよう。