中国新幹線事故について

 おれはあまり中国と縁がない。ただ、コンビニで毎日のように中国人店員から品物を買っている……と以前なら書いていたが、地震以後みな日本人店員になってしまった。とはいえ、どれだけの中国製品を買い、使い、身につけ、食っているのかは数え切れない。
 いや、友だちの友だちはアルカイダ、というレベルならある。職場に、家族が二人も中国勤務という人がいる。おれの世界はそうとうに狭いが、その中でこの確率というと、もう中国で働くというのもまったく当たり前の話なのだろう。ある程度以上の価値のあるサラリーマンであれば。
 さて、その人経由でいろいろの中国現地の話などを聞くことも多い。伝聞ではある。鉄道についても、以前から「こっちに来ても電車に乗ってはいけないと言われている」と聞いたりもしていた。ただ、直接本人も、中国本土も知らないので、「ああ、技術者も自分では乗りたくないとかいう記事ありましたね。幹部が中抜きするからちゃんと作れてないとか」という、まあそんな遠い話。
 で、この事故があった。なんというのだろうか、なんなんだろうね。危ない、危ないと言われていたものが、じっさいにこんな事故になる。そのあたりの、なんとも言えないところ。本当にそうなるのか、というようなところ。

 この事故の被害者たちが、どれだけ危険性を知っていたか知らない。とくに考えていないやつもいたろうし、少しトラブルはあるけど、ここまでとはと思っていたやつもいただろう。ヘルメットを被ったやつはいなかったのだろうけれども。
 それはそうと、重機で事故車両をぶっこわして埋める映像というのはかなりのインパクトがあった。自国人ならもっと思うところがあるんじゃないのか、とも思う。これが引き金になって、中国共産党がどうこうという話もあるかもしれないし、ないかもしれない。
 原発があのていたらくで他国のことを言えるのかどうかとかいうが、まあおれはどちらかというと福知山線の事故のことを思い浮かべるのだけれども。まったく、現代の列車というやつが、運転士のスピードオーバーで107人死ぬような事故を起こすのか、と。まあ、その後にATSなんとかが整備されて、おれの考える現代になったのかもしれないが、よくわからない。
 しかし、中国の、あの現場で、重機を操縦していたやつはどんなやつだったんだろうか。「まだ生きた人、死んだ人がいるかもしれない」というあたりが現場でどういう認識だったのかわからんが。あるいは、いきなりぶっこわして埋めていいのかどうか、と思ったのかどうか。思ったところでどうもできなかったのかどうか。
 まあ、そんなところを想像して意味があるのかどうか。中国のことより、原発のことより、なにかもっと考えるべきことがあって、おれにはそれが切実なんじゃないのか。たとえば……、『ストライクウィッチーズ』のラジオのCDを予約するべきかどうかとか。