『街の公共サインを点検する』を読むのこと

たまには仕事に関する本も読む

街の公共サインを点検する

街の公共サインを点検する

 

これは読んでみなくちゃな、と思っていた本である。が、実際に読んでみると、そこまで読んでみなくちゃな、と思う必要もなかったかな、という本であった。

……などと書くと、本書の価値をおとしめているように見える、あくまでおれにとって、だ。この本の副題は「外国人にはどう見えるか」だ。おれ、というか当社は、外国語を併記する場合、あるいは外国語版を作る場合、カナダ出身で日本に何十年も住んでいる人が経営している翻訳業者に仕事を依頼するからだ。その会社には、各国のネイティブが在籍している(在籍していない外部スタッフかもしれないが)。

まあ、だいたい、自分らが作った日本語サインのデザイン、そして設置場所の情報を送る。そこにバチーンとネイティブの外国語が入る。そんなに間抜けなことになっていないはずだ。おれはそう感じている。

え、おれ? 外国語なんてできません。でも、本書に太字で書かれていることはいつもやっている。

インターネットで海外の空港や鉄道駅などの画像を検索するとその場面にふさわしい表現を探すことができます。

これである。辞書やそういった本(何冊か所有している)を読むより、こっちが確実だ。よほど素っ頓狂なものでない限り(それを見極める必要はあるが)、有効な策だろう。ただ、もちろんこれは当たりをつける作業であり、信頼できる翻訳業者に投げたあと、「こういう表現もあるようですが、これでよいのですか?」と確認するためである。間違っても、よほど外国語に通じていなければ、自分でやろうと思うな。

日本在住外国人が使う言葉

とはいえ、本書にはやはり色々と役に立つ情報が載っている。たとえば、日本在住外国人の使用言語、これ、どう思いますか。「日本にいるような外国人は英語くらいできるんじゃないのか」というと、そうでもない。

英語ができる人 44%

中国語ができる人 38.8%

日本語ができる人 62.6%

これである。英語はたしかに優位だが、伝達効率では日本語の方が高い、ということだ。むろん、日本語ネイティブの日本語力があるわけでもないから、必要とされるのは「やさしいにほんご」というやつだ。たとえば、横浜市のサイトでも「やさしい日本語」が用意されている(日本語も開いたほうがいいと思うが)。

Language 横浜市

そう、在住外国人には「ひらがなを読める」人が多い。ついでカタカナ、ローマ字、漢字が少し……と続く。下手にローマ字を使うより、ひらがなを使ったほうがいいのだ。

で、次に来日外国人対策となると、ここにも問題はある。たとえば、今まで「Gaimusho」(外務省)と「外国語表記」していたものを「Min. of Foreign Affairs」にしましょうという話だ。これだと英語話者は意味がわかるようになるが、「外務省にどう行ったらいいのですか?」という質問に、英語のわからない日本人が答えられない、という問題が生じる。「ガイムショー」と言ってくれたらわかるかもしれない。そんな問題。ほかに実例としては、広島の「平和大通り」を「Peace Boulevard」と訳してしまっては、固有名詞としての「平和大通り」が消えてしまってわからんようになる、とか。

ほかには、英語話者にもわからない略称というのも指摘されている。「戸塚駅(JR・地下鉄)」を「Totsuka Sta.(JR L・Subway)」としてしまっては、ネイティブの留学生も意味がわからんという。

でもって、国の方針として英訳でぶれているのが、重複型と重複回避型の問題だ。日比谷公園を「Hibiya koen park」とするのが重複型、「Hibiya park」とするのが重複回避型。「公園」の部分を「山」とか「川」に入れ替えてもわかりやすいだろう。あるいは、寺社とか。下鴨神社をどうするか。「Shimogamo-jinja Shrine」か、「Shimogamo Shrine」か。著者らは、日本語部分を斜体や色を変えることで、基本重複型でいったらどうかと提案している。納得できる。

うるさい日本

さて、次は注意喚起だ。日本はこれが多すぎる、という。おれは外国に行ったことがないからしらない。しらないが、中島義道が『うるさい日本の私』なんて本を書いているくらいだし、耳ばかりでなく目にもうるさいのかもしれない。

うるさい日本の私 (角川文庫)

うるさい日本の私 (角川文庫)

 

この本では実例をあげて、うるさすぎる注意喚起について指摘している。あまりにも注意喚起が多いために、逆に重要な情報が見逃される、メッセージが伝わらない。そういうデメリットがある。まあなんだろうか、一度つけてしまったら、取り外すにはつける以上の労力がいるという日本の悪習みたいなものは、わりとわかる人はいるんじゃないだろうか。そのせいで、古いサインと新しいサインが同居したりする。まったく。

でもって、さらに標語的注意勧告の無駄を指摘している。こんな記事を読んだばかりだが、おもしろくても、意味はあるのか?

dailyportalz.jp

『標語・スローガンの事典』なんてものがあるのか。「飛び出すな 車は急に止まれない」なんて「ビートはあるけど何も訴えない」と村上春樹が切って捨てたらしいが。まあ、村上春樹は言葉のプロではあるけれど、サインのプロじゃないんだけど。でも、「ストップ放火」というサインを見て、放火魔が放火をやめるとは思えない。それはたしかだ。

あと、基本的に日本語→英語の順のはずなのに、犯罪や迷惑行為(ゴミ捨てとか)防止のためのサインが日本語→中国語や、他の言語になっているのは差別的というか、ちょっと嫌な印象を与えるのではないかという話もあった。が、なんというか、そのあたり、横浜中華街近くの、中国人たくさんいる地域に住むおれからすると、日本語→中国語でも問題ないようなというか、必然のようなという気はするのだが、そのあたりは難しいのでだれか論じてくれ。

ピクトの話

で、ピクトの話になる。東京オリンピックで広まったとも言われるピクト。これ、世界共通になれば多言語問題も解決できる。が、これも簡単にはいかない。なんかおしゃれデザインにこだわって小さくしすぎてしまったり(それをどうにかするためにテプラ強調してネットで「デザインの敗北」として嘲笑われたりする)、あるいは「どうピクトにすんねん」みたいなものもあり。そう、「カーシェアリング」を車のピクトと「Carsharing」という組み合わせ以外で、ピクトのみで表すのは難しい(そのうち天才的なデザイナーがなにか思いつくかもしらんが)。

まあともかく、ピクトは統一が好ましい。そして、ピクトは「絵」ではなく「言語」であるということを意識することが大切だという。そう、ピクトはついつい具体化してしまいたくなるし、文字の横のイラストにしてしまいがちなものかもしれない。これは注意が必要だ。ピクトグラムはイラストではない、挿絵でもない。

デジタルサイネージQRコード

最後に、デジタルサイネージ。日本語の多言語サインで求められるのは、基本的に「日本語+英語」もしくは、「日本語+英語+中国語+ハングル」だ(中国語に簡体字繁体字を入れるかは場合による)。これ、やったことがある人ならわかると思うけど、標識に入れるにしても、マップに入れるにしても、注意書きの看板にしても、四ヶ国語というのはきつい。純粋にスペースが足りない。中国語は日本語より短くなってくれることがあるが、英語は得てして長くなる。ハングルは想像がつかない。

で、その解決にデジタルサイネージはどうか、と著者は述べる。タッチパネルちょこっと押すだけで、望みの言語に変わってくれる。悪くない。

……悪くないのだが、それってけっこう場所が限られてくる。きちんと電気が通っていて、雨風にもさらされず、頻繁に点検、メンテナンスができる場所だ。

となると、おれが考えるにAR……は未来すぎるので、携帯端末でQRコード読んで、それぞれの端末で見てくださいというところだろうか。これはスマホの普及率が問題になるが、そろそろ問題がなくなるような気もしている。きちんとサーバが維持できればいいし、更新も簡単だ。わざわざシートを貼りに行く手間もない。たぶん、デジタルサイネージというより、そっちに行くんじゃないかと思うんだが、さて、どうだろうか。個人的な趣味としては、義眼、電脳、ARがいいのだけれど、それはちょっと行き過ぎている。そんなところ。

……あ、たまにはおれも真面目だな。うん。

以上。