弱い犬ほどよく吠えろ


 おれの日常の会話というと慣れきった零細企業のオフィスか慣れきった女相手しかいないので、だいたいこの日記とおなじ調子といっていい。表現は大げさで、極端な被害妄想と自暴自棄にまみれている。そこで、女に「弱い犬ほどよく吠える」とかいう言葉が持ち出されてたしなめられることもある。でも、「おれが、セントバーナードドーベルマンに見えますか? 犬ならば、スピッツとかそのあたりでしょうが。だからキャンキャン言ってんだ、キャンキャン、姉キャン!」と返すことになる。キャンキャン。
 まったく、弱い犬は吠えなければいけない。ひと噛みされて死ぬのがわかりきっているから、つねに恐怖に怯え、それゆえに威嚇しなければいけない。窮鼠猫を噛むの例えもあるさ、健康で強くて賢くて優しいおまえたちの片目くらいは潰せるかもしれないぞ。キャンキャン。
 そしてまた、インターネットとかいうところ(というかはてなとかいう界隈)でも、ちょっと違うけど同じようなところがあるように思える。ネットに溢れる言葉はあまりにも強者のものが多い。このはてなの界隈のようなところでも、労働の話となると大企業か、フリーランス、あるいは働かないで食っていける能力があるとか、そんな前提の話ばかりだ。

 そんな言葉にすらされていない前提を見るたび、おれの頭の中にはモンスターエンジン西森の鉄工所ラップの冒頭、「中小企業ー!」部分が「零細企業ー!」となって再生される。一方からは淘汰されるべき生産性の低いゾンビ企業扱い、一方からは労働者の権利を無視したブラック企業。でもな、そんなところにしか居場所のないやつ、おまえらに比べたらボロクズみたいなやつが、ゴミ溜めみたいに寄り添って明日をもしれぬ自転車漕いで生きてるふりしてんだ、明日はホームレスか刑務所か首吊り死体かって話だ、キャンキャン。
 そりゃあよ、キャンキャン吠えるってのもひとつのパワーかもしれない、力かもしれない。そんでも、やっぱりとくにインターネットとかいうところでは、ともかく声出さないと、いないのと一緒だしよ、胸糞悪い金持ち、インテリ、ばかりが人生を語って、それで2011年なら2011年の人類の発言としてアルヒーフになって、100年後の人間が読み返したりするんだぜ。
 おもしろくねえよ、くそが、おれは誰の代弁者にもなれる自信なんてねえから、最小の主語で、できるだけぶち込んでいくしかないんだ。ぶっつぶしてやりたいんだ。弱い負け犬の遠吠えと言われようと上等だ、畜生が。