ベリヤ好きなら警戒! 『ベリヤ スターリンに仕えた死刑執行人 ある出世主義者の末路』

★きちんと調べたわけではないが、前に読んだタデシュ・ウィトリンの『ベリヤ 革命の粛清者』とこの本が、邦訳されて、なおかつ本屋や図書館手に入るベリヤ本ではなかろうか。
★しかし、粛清者、死刑執行人、出世主義者とろくな形容はされない。「革命の大天使」サン=ジュストとは大違いだ。すばらしい。
★ロマン・グーリの『アゼーフ』がウィトリンの『ベリヤ』なら、この本は 『大スパイ 革命のユダ』か。読み物としてはウィトリンの『ベリヤ』が面白い。
★この本は共著というか、なんというか、ベリヤについて書かれたものを集めた本、だ。だから、フルシチョフジューコフ、モスカレンコの回想録からの抜粋も入っている。実際にベリヤの取り調べを受けたブハーリンの奥さんの回顧なんかもある。前半の大部分を占めるA.アントーノフ=オフセーエンコの「出世の道程―ベリヤの横顔・素描」は執拗で長いが(この著者も長いこと強制収容所に入っていた)、あとの方はサクサク読める。べつにウィトリンの書いた伝記との差異(この本の方がずっとあとに出版されたのでわかった事実も多いだろう。あと、全体からの印象だとやっぱりウィトリン盛りすぎ)とか気にしなければ、あとのほうから読んだっていい。
★なかなか洒落た本ではある。が、著者略歴といつ書かれたものかを各項の前に明記してほしかったし、「出世の道程」も何章かに割ったりしてくれたらもっと読みやすいのにな、とは思った。
★ベリヤの最期については謎が多い。ウィトリンの本でもそうだし、日本語版Wikipediaでもいくつか紹介されている。が、どうも本書を読むと、1953年6月26日午後1時に合図のブザーが鳴ってジューコフ以下が党中央委員会幹部会に乗込んで逮捕したってのが、まあ事実というか、そのラインが濃いというか、可能性だか蓋然性だかが高いんじゃないかという気にはなる。
★興味深いのはA.スコドロフという人の書いた「対ベリヤ戦争への備え」。モスクワ郊外の首都防衛高射砲連隊の大佐の手記で、諸外国と戦争の気配もないのに「中隊を高射砲陣地へ誘導せよ。戦闘警報発令!」になって何ごとか、みたいな話。配置につく途中、内務省所属部隊(要するにベリヤの子飼い)の大佐と少尉に邪魔されたが、T-34の方が強くてどかしたとかなんとか。そんでもって、それから3日間戦闘態勢でいたんだけど、ラジオから聞こえてくるのはいつもどおりの音楽にサッカーの試合。で、7月2日くらいになって、ようやくベリヤ逮捕劇があったらしいと知ったと。
フルシチョフの「ワシが撃った」や「ミコヤンが撃った」説のほかに、6月に逮捕されたけどすぐに処刑されて、12月の裁判のベリヤは替え玉だよ説、というのもある。が、この本ではミトロファン・イオノヴィッチ・クチャヴァというベリヤ裁判を担当した判事の、最後の生き残りの証言が載っている。その証言は1990年にこの本の編者が行ったもので、クチャヴァ氏曰く裁判以前にトビリシの駅で見かけたこともあるし、戦争中はグルジア共産党ガグラ地区委員会の第一書記としてベリヤの別荘で本人に地区の情況を説明したこともあるという。だから見間違えるはずもなく、裁判に出たのはベリヤだし、ほかの裁判に出席した人間もベリヤと面識のある人間ばかりなのだから、間違いはない、という。
★まあしかし、これも全部信じていいのかどうかおれには判断しかねる。もう死刑の決まった見世物裁判とはいえ(まあベリヤは死刑に値するわけだけど)、その場でベリヤが何を言うかわかったもんじゃない。残った権力者たちにそういう危険はなかったのか、などと。ただ、まあ、やっぱ本人で、少女強姦とかは認めるけど、国家に対して罪は犯してないから死刑にしないでって命乞いするあたりも含めて、ありかな、と。なにが「あり」なのかわからんが。
★ベリヤについてスターリンが「うちのヒムラー」と言ったというエピソードがある。これを紹介しているのはアンドレイ・グロムイコだ。ヤルタ会談のさい、ルーズベルトから「あの方はどなたです」と聞かれたスターリンが「ああ、あれはうちのヒムラーですよ。ベリヤです」と答えたらしい。グロムイコは「的を射たたとえに私は唖然とした」らしい。ルーズベルトはどう反応していいかわからず、笑ってごまかしたという。ベリヤ自身は「黄色い歯を見せてにやにやしていた」らしいが、「ヒムラーにたとえられてどうやら憤慨し、自尊心が傷ついたらしい」とグロムイコは推測する。
★ベリヤのポジションを知っているだろうか? 左のサイドハーフである。じゃあミコヤンがボランチで、オルジョニキーゼがセンターバックフォワードはジューコフとヴォロシーロフか? とかいう話でなく実際に、サッカーでの話である。
★「スタロティン兄弟事件」というタイトルで、ニコライ・スタロティンというサッカー選手自身が披露している話だ。スタロティンは有名なサッカー選手として活躍していたが、あるときたまたま出会ったベリヤが随員に「これがトビリシでいつぞや私から逃げていたスタロティンだよ」と紹介したという。それはスタロティン自身もすっかり忘れていた話で、1920年代のはじめモスクワ選抜としてトビリシで試合をしたとき「対戦チームの左翼ハーフに、ずんぐりした体格の、技能はあまり確かとはいえない猪突猛進型の先取が配置されていた」のを思い出したのだった。それがベリヤ本人だった。スタロティンは難なくベリヤを振りきって後半にはシュートを決めたという。

「ニコライ、これが人生の試合さ。君はまだ立派な体格をしているのに、私ときたらスポーツでの最高記録をねらうのはもう不向きだ」。彼はぼくの目をまっすぐ見て言った。「もっとも君が私を振り切って逃げるなんてことは、今はもう不可能だがね」。みなは声を合わせて笑った。

★スタロティンは「彼の人生において他の人と同じように自分も競技規則を守ったのは、例外的にあの時だけだったのかもしれない」と書く。そして、実際に逃げられなかった。1939年、スタロティン四兄弟擁する「スパルターク」はベリヤ贔屓の「ディナーモ・トビリシ」にソ連邦杯の準決勝でこれを打ち破り、決勝にも勝って優勝する。しかし、一ヶ月後に準決勝のやり直しを命じられる。ナベツネにもできない横暴。しかし、やり直し試合でも「スパルターク」は「ディナーモ・トビリシ」に勝ってしまい、ベリヤの面目を潰す。上の会話がなされたのはその後であり、スタロティン四兄弟が一斉に逮捕されるのは1942年のことである。ニコライは12年をルビヤンカと収容所で過ごすはめになった。
★ほかにも、スターリンの信任をえることになった例の論文の真の著者(きちんと粛清された)の話とか、ジェルジンスキーの命を受けてベリヤ逮捕に向かったけど途中で中止になったという話を聞いたチェキストの息子の話とか(たぶんダブルスパイだという報告がいったときのことか?)、ネストル・ラコバの手記とかいろいろあって、あれ、意外にやっぱり面白いかこの本も。
★つーかしかし、なんで2012年の今、ベリヤに興味持ってんのかよくわからん。社会革命党戦闘団というか、エヴノ・アゼフに興味があって、その続きになんかベリヤがいた。中二病的な悪者好きかなにかかもしれない。ともかく、ベリヤ粛清以後のソヴェートにあまり興味はない。ただ、独ソ戦とその前の、トハチェフスキーが活躍したあたりの内戦、まだサヴィンコフが麻薬中毒になりながら戦っていた時代には興味がある。ネストル・マフノにも興味はある(なにせ大杉栄が息子の名にするくらいだ)。なにか手頃な本でもあればいいのだが、今のところ見当はついていない。図書館で目についた『神軍緑軍赤軍』と『スルタンガリエフの夢』というのパラパラめくってみたが、イスラーム色が強くてちと違うような気もする。しかしまあ、あまりにもいろいろのものが入り乱れているようで、一筋縄ではいかなそうだし、だったら別に手を引けばいいのだが。だれか『サヴィンコフ最後の戦い』みたいのを書いたり、映画にしてくれたりしないものか。おれ以外にだれが興味あるのか知らないが。
★ベリヤの国……というのを少し考えてみたりもする。サヴィンコフの目指した国、ならばなんとなく想像できないこともない。ただ、ベリヤの国、というのは想像できないような気もする。まったく似たもの同士のスターリン圧政下のソヴェート、頭がすげ変わっただけなのか、もっとひどくなったのか。それとも、彼の罪状とされているように、西側の歓心を買った、いびつな雪解けにでもなったのか(巨大なラファエル・トルヒーヨのように)。いろいろの証言から、ベリヤは政治や思想にまったく興味がなかったし、マルクスもなにも読んだことなんてないだろう、という調子だ。出世主義者、成り上がりものが成り上がった先は、独裁者になった先は。……なにもなかったのかな。あるいは、マレンコフでも立てておいて、影の独裁者がいいところか? いや、違う。たぶんトップへの野心はあった。が、その先に何があったのか……。ひょっとしたら世界大戦か? まあ、少なくともおれはベリヤがソ連の名サイドハーフだった世界にも、カストロが切れのいいカーブで活躍したメジャーリーガーだった世界にも住んでいないことだけがたしかなのだ、たぶん。

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