『よつばと!』12巻はしんみりきたかね?

よつばと! 12 (電撃コミックス)

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 ふと、日記へのリンク元を見たら「よつばと12 しんみりくる」というのがあった。リンク先はほんとうは悲しい『よつばと!』 - 関内関外日記(跡地)なので、12巻の感想というわけではないけれども、どうだったろうか。そして、おれが思うに、どこのどなたか存じあげないけれども、おれも『よつばと!』の12巻には「しんみりくる」ところが大いにあった。というか、大いにありすぎて不安になるくらいだった。
 ……と、思ってパラパラめくってみると、「そこまででもないかな?」などとも思わないでもないけれども。ただ、最初と最後の「しんみりくる」感は異常、みたいなところはある。出てくる女性キャラの、みうらもみうらのお母さんもすべてすばらしいというようなところを除くと、なにかこう、やっぱり「しんみり」が残る。本当は悲しいよつばと!、本当は怖いよつばと!、本当はしんみりしているよつばと!
 こうなると、「!」が浮いて見えるようだ。立体視か? 違うか。いや、著者の狙いはわからない。わからないが、なにかひとつ、行けるところまで行ってやろうみたいな、そんなふうにも見える。文句なく今の漫画を代表する漫画といっていいのだけれども、それが「どのような」というところで答えに窮するような……、要するに、いや要せないところに行っているような気さえする。大袈裟かもしれないが、どうだろうか。萌えキャラの多い、日常マンガ、というところで収まりきるだろうか。いや、べつに大仕掛があるとは思っちゃいないけれども、この不思議な感じはなんだろうか。おれは日頃漫画雑誌を買う、という消費からは逃げているのでわからないが、『あずまんが大王』的な漫画はあっても、『よつばと!』的なのは……あるんだろうか? 
 などとぐだぐだ述べたところで意見も結論もない。読み返せば、魅力的な女性キャラに目移りするばかりといえなくもない。ただ、この不穏さといっていいくらいの「しんみり」、なんの花に例えられましょう? あまりにも「しんみり」しすぎて、少し心が沈んでくるようなところさえある。これが、歳相応に子を持つ親であれば、そうはならぬやもしれん。おれにこれを素直に受け止める度量がないのかもしれない。まったく、どうしたものか。まあ、ダンボーは好きだがね。
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