それがおれが死なない理由の比喩

 生きること。生活、人生。ライフ。前日に書いた宝くじの話、おれは死にたがっているのだと思った。生きるために必要なもの、金。金がいる。おれはめっぽう金を稼ぐ力に欠いている。精神疾患のせいで自動車が運転できないとか(軽いのでしようと思えばできるに違いないが)、ちびで膂力がないとか、そもそもコミュニケーションに問題があるとか、数えだせばきりがない。ただし、いくら数えたところで「おまえは自分で生きられないから金をやろう」という話にはなりはしない。おれの身体は健康だし、脳みそは冴え渡っているし、耳には三つのピアスをつけている。三つのピアスのそれぞれの意味は怠惰、不安、嫉妬だ。今、考えた。
 手に職をつけるというか、この肉体を維持するための職、食、これを維持するための手段。手段? 必要性? 絶対的な必要性。前提、根拠、必要悪。これに関する、昔からのおれの無関心、無気力、翻って嫌悪感、憎悪。意識の圧倒的な低さ。おれより意識の低い人間を連れてきてみろ。ここにいるぞ。ドカッ。いや、ここそこにいる。
 夏は死にたくなる。と、夏のせいにもできない。もうそういう歳でもない。じゃあ、まだ二十代のころ、おれはどうだったのか。ニートと労働の二つ。将来のなにをも考えず、学校に行きたくないから学校に行かず、実家が夜逃げ同然になったらなったで、また将来のなにをも考えず、働き、排出されたのが行き場のない三十代。ある日、体が動かなくなって、プリントアウトして行った医者。約一年、双極性障害らしいと診断されたところでジプレキサはよく効いている。しかし、死にたさというのはいかにも圧倒的だ。おれは健康体だし、きちがいだけど脳みそは冴え渡っているし、なぜ自殺しないのか。
 夜、お好み焼きを作る。出来上がったそれをゴミ箱に捨てない理由。それがおれが死なない理由の比喩だ。おれはなんとなくそう思う。人が自死してはならない理由があるとすれば。あるいは人が人を殺してはいけない理由があるとすれば。いや、理由じゃないんだ。比喩だ。食おうと思って作ったラーメンをわざと台所にぶちまけない。比喩だ。
 比喩が生きている。実体がある。滑稽な話だ。じゃあ比喩でないそのものを求めるとなると、なにか求道者、悟り世代。自分探しで自分をなくすというのは、揶揄のようであってなくしたら大したものじゃないだろうか。おれは大したことがないから、これをプリントアウトしてインド亜大陸五体投地するつもりもありはしない。だいたい何語でプリントアウトしていいのかわからない。
 ほしいもの、行きたいところ、見たいもの、体験したいこと、そんなものをみなは持っているのだろうか。それらがモチベーションになったりしているのだろうか。おれにはこれといって、ない。せいぜい目の前の餌に食いつく金魚くらいの興味があるくらいのことだ。餌を食えばおしまいだ。
 おれにはあまりほしいものはない。失いたくないものもありはしない。このままでいいので生きていきたい、というところに気持ちがセットされない。不安に怯えつづけることを維持したいか。したいはずもない。金がほしい。金だけが安楽だ。あらゆる教育はそれのみが不安を遠ざける安定剤だということを教えなければならない。そして、あらゆる教育は金を稼ぐ目的のためだけにあらなければならない。生まれたときから死ぬまで賄える資産を有するやつなどは、ライ麦畑に首まで埋めてしまえ。そしてその親に芝刈りでも命じようか。
 おれの頭のなかで悪魔が散髪でもしているのか。それじゃあしょうがない。すべては却下された。おれの脳みそは冴え渡っているのでわかっているんだ。野菜をきちんと摂ること、ベースカバーを怠らないこと、毎日遺書を書き残すこと。人生に必要なことは三つかそれ以上ある。それ以上のことは知らない。