10月までは生きねばならない、などと書いた覚えがある。
その10月が来てみれば、なるほど文字通りであった。もう少しで生活が終わりそうだ。
書いたことは本当になる。ゆめゆめご注意を。
して、なぜおれが死ななければならないのか。そう言いたくなりもする。おれはそれほど深い悪を為してきたのか。ひどい害をこの世界に与えたのか。人の一人も殺しちゃいない。それなのにおれは自死せねばならない。
かといって、おれは怒ったり嘆いたりしない。もはやおれの瞋恚というようものは薬で消え失せている。ただ、問いばかりが内へ向い、内へ向い。
内へ向かったところで、なんども通り過ぎた道をたどるだけだ。
おれはおれが生きるに値すると踏んでいるが、世界は生きるに値しない。あるいは世界は生きるに値するかもしれないが、おれはおれが生きるに値すると思っていない。同じことだ。
人間とかいう種がその生き残りをかけるために多様性を維持し続けた。あらゆる種と同じだろうか。それゆえに、その時、その世に適合しない人間も生まれてくる。
おれの脳みそがおかしいのも、個体として淘汰されようとしているのも、その帰結にすぎない。たまたま、この時、この世はおれに合わなかった。
おれが世界になにをしたのか。世界はおれになにをしたのか。
最後には赦しがなくてはならない。
おれが世界を赦す。
最後には赦しがある。
おれは世界を赦す。
せめて、そういってさようならを言いたいと。
そうして、世界がいつまでも内緒にしているものを、ちょっぴり覗き見るのだ。
もう、10月になってしまったのだから。