「今飲んでる薬はじめて飲んだ日なんて、頭クラクラでわけわかんなかったっすよ。それ、次に医者に行ったら『脳の組成が変わるんだから当たり前だよ』って」と俺。
「えー、それじゃあ(黄金頭)くんは、2人目なんだ。見た目は一緒だけど、中身は入れ替わってるんだ。こわーい」と女。
「いや、たぶん私は3人目だから」とおれ。
3人目のおれ。
1人目のおれは生まれ持った脳の組成とそれに加わる外圧そのままに生きてきたおれ。一番長いおれ。
2人目のおれは精神科医に様子見(SSRI、SNRIでなくレスリン処方)されつつ「強迫性障害」や「うつ病」や「パニック障害」かなにかということで過ごした1年間くらいのおれ。
3人目のおれは双極性障害(2型)らしい診断され、その処方薬を食っている今のおれ。
それに双極性の躁と鬱のパターンを掛けあわせれば6通り。6通りのおれがいたのだ。
……人間、6通りで済むものか。脳に障害のない人間だって、たとえば家族や恋人が死んだりすれば抑うつ的になるだろう。それは人間として当たり前の対応だ。それは極端な例としても、ちょっと機嫌がいいだの悪いだの、人間はつねにうつろう。秋月龍みん師に言わせりゃ、生きる人間の一瞬一瞬こそが輪廻転生だという。そう考えてみれば6通りで済むわけがない。
3人目のおれはそう思う。3人目? おれは今、この刹那、軽躁状態か? 抑うつ状態か? それとも薬のおかげでフラットな7人目か? わかりはしない。
おまえは何人目のおまえか。
おれは何人目のおれか。
その一瞬、その一瞬、ウサギは自転車を漕ぎ、分裂と統合を繰り返して、一応は形作られ、病んでいる。違うか?