サクラチトセオーの死ぬこと

 1995年の天皇賞(秋)を制し、現在は北海道新ひだか町新和牧場に繋養されていたサクラチトセオー(牡24)が、30日に老衰のため死亡していたことがわかった。

 サクラチトセオーが死んだ。老衰という。サクラチトセオーが老衰で死ぬ時代になったのか。そんな世界を、おれは生きてしまっているのか。
 1995年の秋の天皇賞を思い出そう。

 おれがこのレースをどこで見たか。はっきりと覚えている、逗子の商店街の電気屋のテレビでだ。その日は高校の文化祭の日だった。しかし、秋の天皇賞の日でもあった。馬券は買っていない。しかし、馬は走る。おれは週刊ギャロップを愛読していた。そんなやつがもう一人いた。競馬以外の話をあまりしたことのないAという友人だった。二人で学校を抜けだして、電気屋に行ったのだ。電気屋で競馬中継を流している保証もなかったが、行ってみたら流れていた。大川慶次郎だって生きていたと思う。
 ともかく、そんなぼんくらの高校生が馬券も買わずに観戦した秋の天皇賞を勝ったのがサクラチトセオーだった。ああ、懐かしいピンクの勝負服に小島太。ここ一番で魅せる男。そしておれらは「さすがトニービンだな」、「4歳馬に天皇賞は難しいよ」とか言っただろうか。そこまでは覚えていない。
 しかし、なんといういいメンバー。一頭として「どんな馬だったか全く記憶に無い」という馬がいない。たぶん、いなかった馬の一頭も思い出せる。ハシルショウグンの出走で大好きなカネツクロスが出られなかったのではないか。マイシンザンの取り消しに二重の意味でもったいないと思ったものだった。あくまで記憶の中でのことだが。
 2014年。今年だ。サクラチトセオーが死んだ。この天皇賞を走った馬たちの中でどれだけの馬がまだ生きているのか。調べる気はしない。おれは結局、なにものにもなれず歳ばかり食っている。今年に入ってから馬券を一切買っていない。金が無いからだ。高校生のおれはこんな20年後を予想したろうか。きっと、悪くも予想していなかったが、よくも予想していなかった。なにも考えていなかった。せいぜい次のジャパンカップのことくらいしか考えてなかった。1995年のジャパンカップ勝ち馬はランド。春頃にマイケル・ロバーツ特集かなにかがあって、日本に連れて行きたいと言っていたことを、おれは執拗に覚えていた。清水成駿が◎を打った。悪くない思いをした。悪くないころもあった。それだけのことだ。

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