江戸の園芸マニアども


江戸の花競べ-園芸文化の到来 (大江戸カルチャーブックス)

江戸の花競べ-園芸文化の到来 (大江戸カルチャーブックス)

江戸のガーデニング (コロナ・ブックス)

江戸のガーデニング (コロナ・ブックス)

 たまにはこんな本を読む。

「数多くの公園や庭園がこの江戸を埋め尽くしているので、遠くから見ると、無限に広がる一つの公園の感を与えてくれる。到る所に林として、また、並木として植えられた木立に気づく。」(『スイス領事の見た幕末の日本』森本英夫訳、新人物往来社

 いきなり孫引きだけど、当時世界一の人口を抱えていた巨大都市江戸が、同時に巨大庭園都市だったというのはおもしろい。しかも、それが大権力者による計算された事業などでない(……徳川吉宗が各所に桜の名所みたいなのを作った、とかはあるけど)というのがまたいい。
 上は将軍から、下は庶民まで。植木商に武家の次男、三男。そいつらがブームになった植物にのめり込んで、品種改良に血道を上げる。珍品、奇花ができあがる。
 そもそもブームになる植物の妙なところがたまにある。ツバキやボタン、ハナショウブというのならわかる。それがオモト、マツバラン、カラタチバナあたりとなると「?」となる。それらの斑の入り方一つでビッグマネーになったりする。オランダのチューリップの話じゃないが、カラタチバナ一鉢千両みたいなことになったりする。
 武家の次男、三男にとっては、文武の塾をしたところで稼ぎにならず、かといって庭での野菜作りは禁じられている(実際はやっていたらしいが)、そんなところで園芸でメイクマネーみたいなところもあったらしい。なかなか切実でもあるようだ。それで、葉の縮み、捻りに一喜一憂していたのかもしれない。ちなみに、一番上の写真はそういうもののひとつ、金魚ツバキね。手ブレしてるけど。
 これは本に載っていた話ではないけれども、貴重な品種を人に譲るのに、盆栽の土の下に塩を仕込んでおいて、相手が水やりすると枯れさせてしまうなんてテクニックもあったらしい。金が絡めばドロドロもしよう。いや、金ばかりでないのがマニアというものかもしれない。
 庶民にとっては、植木屋というのはやや規模が大きく敷居が高いものだったようだ。けれども、縁日や流しで売ってる行商の鉢植えなどを楽しんでいたようだ。平成日本の路地でもてんでバラバラの鉢植えやトロ箱からよくわからない花が咲いたりしている。おれは悪くない光景に思う。
 また、庶民にとっては行楽としての園芸というものもあった。堀切の菖蒲園をはじめとして、植木屋が展示場のようにして圃場を公開したりとか。忘れちゃいけないのはサクラで、当時でも夜間ライトアップしていたというのだからたいしたものだ。
 サクラといえば松平定信で、浴恩園などの大庭園に趣味人として品のいい品種を集めて、さらには西洋風の図鑑のテイストを盛り込んだんじゃないかという植物図録なんかを作らせてる。
 おれはといえば、大庭園どころか庭すらないアパート暮らし。それでも部屋の中に6つくらい鉢植えがあって、なにかしら育てている。アパートの敷地内の土も好きにしていいと言われているが、そこまではやる気がしない。ただ、庭というのがあればいいなとは思う。思うだけだが。日本人なら、という主語の大きさは嫌いだが、わりと小さな植物を愛するような傾向はあるのかな、と思わなくもない。そこからマニアックに走るところも、未来を生きてんなって感じでいい。とはいえ、今の日本にどれだけの園芸狂いがいるのか知らない。どこかで密かに「この黄握爪竜葉白風鈴獅子牡丹咲は……!」とか家庭も、自分の人生も顧みないでアサガオやってるおっさんとかいてほしいとは思う。